アルファ33

画像1983年にデビューしたアルファ33は、総生産台数ではスッドに継ぐモデルですが、日本では日英自動車が僅か数台を正規輸入したに過ぎず、日本ではなじみの薄いモデルです。33の名は'77年にFIA世界スポーツカー選手権でワールドチャンピオンに輝いた33TT12と同じく、水平対抗エンジンを搭載していることにあやかったものです。写真はペゴのalfaromeo331.7IEです。


アルファ33を語る時、日本での「アルファの空白のとき」の話から始めるのがいいと思います。1963年12月から、ジュリアシリーズ、アルファスッドなど懐かしいモデルの大半を輸入販売していた伊藤忠商事(輸入元)、伊藤忠オート(販売元)が1983年に輸入車販売から撤退します。ちなみに日本で、外国の車の輸入自由化されたのが1965年(関税自由化は1978年)からですが、現在の輸入車販売の主流であるメーカーが設立した日本法人が直接に輸入・販売する形になる前の、日本資本のさまざまな業種企業がインポーターとして登場する輸入車販売の黎明期の話です。


伊藤忠に変わって1983年から変わってアルファ・ロメオを手がけたのが、文字どおり英国車の輸入販売がメインであった日英自動車(日本交通系)です。アルファ33、スッド、スパイダーなどの一部の車種を少量輸入販売しましたが、日英自動車が1985年5月にオースティン・ローバー・ジャパンになった時点で、アルファの代理権を返上したためアルファロメオの正式な輸入は途絶えます。1986年にはアルファロメオ・ジャパン(コスモ石油系)がアルファ75TSとSpiderステージ3のニ車種の販売を計画しますが、計画は頓挫してしまいます。1987年に大沢商会(セゾン・グループ)が大沢自動車販売を設立しアルファ75とスパイダーを販売、のちにアルファ164が加わり輸入が再開されます。


その後、二度にわたるオイルショックなどに苦しめられつつも、総生産台数で100万台を超えるヒット作となったスッドも、発売以来10年以上が経過し旧態化が目立ち始めていました。そこでスッドに代わるニューモデルとして'83年にデビューしたのが33です。アルファスッドとプラットフォームや一部の部品を共有し、日産自動車と立ち上げた「ARNAプロジェクト」で、「技術の日産」から得たノウハウを元にアルファはスッドの問題点を徹底的に洗い出し錆対策、パーツ点数の削減(合理化)、生産ラインの自動化など著しい進化を遂げ1983年に33はデビューします。


33のデザインはアルファの社内デザインですが、2年後にデビューする「75」とデザインテーマを同じくする非常にアクのの強いウエッジシェープが特徴です。社外デザインの流麗なラインとは異なる、ジュリアスーパーの「醜さ」を踏襲したある意味「もう一つのアルファ」系です。なお、セダンより約12cm全長が長い1984年登場のワゴンは当初「ジャルディネッタ」の名称が付けられていましたが、後に「スポーツワゴン」に変更されたます。ワゴンボディーのデザインはピニンファリーナで、こちらをよしとする好事家もいます。



1.3の水平対向エンジンからスタートした33は排気量も1.5、1.7にまで成長します。ガソリンエンジンにはシングルキャブレター仕様、ダブルキャブレター仕様、インジェクション仕様が存在し、このスモールボクサーエンジンは後継車種となるアルファロメオ・145/146(日本未輸入)にも引き続き搭載されました。86年に1.8のターボディーゼルも登場、また1989年にはシリーズ最強の16バルブ化を受けた 1.7 16vが登場します。生産年 により、Iシリーズ(1983~86年)、 キャビンの構造と75に準じた内装に変更したIIシリーズ(1986~1989年)、マイナーチェンジでフロントが164と同様のデザインに変更されたIIIシリーズ(1990~94年) に分けられます。分類はシリーズ2までの説もありますが、ここでは3シリーズにわけました。




この記事へのコメント

この記事へのトラックバック