アルファロメオ創立100周年

オートアート新製品の案内書が届きました。アルファロメオ創立100周年を記念して1/18スケールのモントリオールとアルフェッタ GTVが発売と書いてあります。期待したのですが、通常のミニカーでがっかりです。 アルファロメオは1910年6月24日、イタリア・ミラノにA.L.F.A. (Anonima Lombarda Fabbrica Automobili) として誕生しました。今年(2010年)は記念すべき創業100周年ということでイタリア・ミラノをはじめ各地(日本でも)メーカーやインポーター主催の記念イベントが開催されました。しかし、現在のアルファロメオは、話題といってはジュリエッタの発表位で明るい話はあまりなく、いまひとつ盛り上がりに欠けていたと感じるのは私だけでしょうか? 100周年を記念して、記念豪華オフィシャル写真集、限定リストウオッチが発売されたようですが、価格も高価でわたしには縁がないものです。ミニチュアカーもアルファ ロメオ創立100周年のメモリアルカーが発売される?と期待していましたが、今のところ無いようです。ミニカーも現在のアルファロメオの勢いを反映?して新製品があまり発売されなくなり、購入したいと思う製品が少なくなりました。財布にはいいのですが、「買うか、買わないか」で悩む楽しみも少なくなってしまい、ちょっと残念です。アルファロメオにも、アルファロメオのミニカーにも頑張ってもらいたいと思う今日、この頃です。

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アルファロメオ・164

164 は6(セイ)、それを吸収した90に代わり、1987年に登場した開発コード名を名前にしたアッパーミドルクラス4ドアサルーンです。写真は、PMAのアルファ 164 3.0 V6 スーパー 1992Mブルーです。世界のアルファ・ファンに今も愛されるモデルカーは少ないです。 イタリア産業復興公社(IRI)の支配下にあった1980年にFRサルーンとして開発が始まりますが、主に財政的な理由から自社内での開発を断念し、フィアット(クロマ)、ランチア(テーマ)、サーブ(9000)の3社間で推進されていたセグメントEの中型FFサルーンのためのティーポ4プロジェクトに1982年に正式契約、最後の1台として参加します。アルファロメオがフィアットに買収された翌年の1987年、164は、フィアットによりリファインされ,フィアットの傘下に入って最初のモデルとして登場します。164は1998年に後継モデルとして166が登場する約10年間に27万台生産され、156登場まではアルファロメオ史上、最多量販車種でした。※ティーポ=Tipoは英語で“Type”の意で、ティーポ2、ティーポ3、ティーポ4はそれぞれ今で言う所のCセグ、Dセグ、Eセグに当ります。 本来は望んでいなかったFFシャシですが、アルファ・ロメオの技術陣はスッドでの経験を生かして大柄なボディを感じさせない軽快なフットワークとシャープなハンドリングのクラス随一のドライバーズサルーンに仕立てます。 また、ピニンファリーナ(メインデザ…

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アルファロメオ・SZ/RZ 

1989年、アルファロメオのザガートモデルとしてSZが久々に復活します。ジュニアシリーズ(ジュリアの小排気量版)をベースとしたジュニアZ以来、15年ぶりです。SZ(Sprint Zagatoの略)を名を冠していますが、“Il Mostro(=Monster)”とあだ名される旧来の自動車美の常識を根底から覆すようなスタイリングは、実際にはフィアット・グループのデザインセンターの基本デザインを採用、それにアルファロメオ案の一部を取り入れ、ザガートがリファインしたコラボモデルといわれています。製造はミラノにあるアルファ・ロメオの工場に近いザガートのファクトリーで行なわれました。SZ(開発ナンバーES30)は、アルファ・ロメオにとっては20世紀最後のスーパースポーツであり、またアルフェッタ以来のトランスアクスルモデル、更に言えば後輪駆動アルファの最終到達点ともいうべき記念碑的モデルです。写真は上が1989年SZと、下が1992年のRZで、どちらもスパーク製です。 シャシーは、当時グループAツーリングカーレースで活躍していた75ターボをベースにチューニングしたものですが元々素質に優れたアルフェッタ系のシャシーであり、トランスアクセルレイアウトとあいまり、前後の重量配分は56:44となりFR車としては素晴らしいハンドリングマシーンでした。エンジンは75-3.0V6アメリカ、及び164と共用の3ℓV6ユニットを210PSまでライトチューンして搭載しています。パフォーマンス的にはスーパースポーツとはいい難い…

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AR8

AR8は、アルファロメオが1987年にフィアットグループ入りしたことで生まれた商用ヴァンです。ベースとなった車両はFIAT-IVECOのDailyですがフロントグリルにはもちろんアルファの盾が付けられています。 イタリア本国ではアルファロメオ車のディーラーのサービスカーや警察車両、その他キャンパー仕様なども含めて1994年まで販売されていました。写真は、DeAGOSTINI のアルファロメオAR8のイタリア国家警察仕様のポリスワゴン(1988年モデル)です。※イベコは1975年に3ヶ国5社が合併して出来上がったフィアット傘下のトラック専門メーカーです。

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アルファ75

1985年4月,アルファ75は、(二代目)ジュリエッタの後継車種としてアルファロメオのミドルレンジを担うべく発売されます。75の名はデビュー年がアルファロメオ社創業75周年であったことに因ります。当時のアルファロメオは車名に二桁の数字を使用しているケースが多いですが、大衆車クラスの33(アルファスッド後継)の名前の由来は'77年にFIA世界スポーツカー選手権でワールドチャンピオンに輝いた33TT12と同じく、水平対抗エンジンを搭載していることから、中型車クラスの90(アルフェッタ後継)の名は、同社が1990年まで生き残れるよう願いをこめてネーミングされたものです。写真は、上が、PMA製の1989年のAlfaromeo75 3.0V6Americaで、下がPROGETTO製の1988年alfaromeo75turboです。 アルファ90と平行して開発が進められた75はエルマンノ・クレッソーニ率いるアルファ・ロメオ・デザインセンターが手掛けたデザインで、ジュリエッタ譲りの抑揚の強いウエッジシェイプは通常の自動車美の観念から大きく逸脱する個性的なもので、好き嫌いが分かれるところです。 機構的には、経営破綻寸前だったアルファロメオの台所事情を反映し、先代ジュリエッタ(さらに遡ればアルフェッタ)を踏襲しており、トランスアクスルのドライブトレーンにインボードディスクのリアブレーキ、ド・ディオン・アクスルのリアサスペンションという贅沢極まりないメカニズムを持つ最後の量産モデルです。後輪駆動を信奉す…

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アルファ90

ジュリアの系譜(ココ)にすでに書いたように、ジュリアの時代を、ひとつの頂点ととすると、あとは下るのはしごく当然のことです。70年代のイタリア経済は、度重なる労働争議、2度のオイルショックショック等低迷を続ける理由に事欠かず、産業復興公社の管理下で慢性的な経営難に陥っていたアルファロメオもまた、80年台をむかえても低級飛行を続けていました。 1984年、誕生から12年を経過し古さが隠せなくなっていたアルフェッタですが当時のアルファロメオは経営危機の只中にあり、新型車開発資金が乏しかったため、アルフェッタの機械部分はそのまま継承し、下位モデル75をデザインしたエルマンノ・クレッソーニのデザインによる新しいボディ外板を与えられてアルファ90が登場します。翌1985年には早くもフェイス・リフトが行われ、90スーパーとなりますが、この年に登場したルファ75との棲み分けが難しくなり、1990年まで(会社が)生き延びることを願って命名されたアルファ90ですが、1987年に新世代の旗艦、アルファ164が現れると、その短い生涯を閉じます。 90の唯一の積極的な特色はアルフェッタには与えられなかったV6・2500ccエンジンが最上級バージョンに与えられたことですが、これはほぼ同時期に従来のトップモデル、アルファ6も生産中止され、90がアルファの最上級サルーンの役割を負わされたためです。90のスタイリングは、アルフェッタのイメージは残すものの平凡であまり印象に残りませんが、内装・特にメーター周りはけ…

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Alfa 6 (セイ)

1979年、それまでアルファ・ロメオのトップレンジを保っていた2000ベルリーナ(ジュリアの拡大版である1750の2000ccエンジン換装版)に代わる形でセイ(イタリア語で6の意味)がデビューします。フラッグシップとして企画された大型高級乗用車ですが、ベースとなったのは2000ccクラスの中型車、アルフェッタで、ドアパネルなど共用部品も多く、サスペンションも共用しているため車格の割に妙に車幅が狭いバランスの悪いモデル(4.8m近い全長に対し、全幅は1.7m足らず)となってしまいます。また、1973年の第一次石油危機などで開発が遅れた結果、アルフェッタから実に7年もも発売が遅れ、6のスタイルはデビュー当初から古くささを感じさせるものでした。Norevのアルファロメオ 6 セイ・ベルリナです。 1983年にはマイナーチェンジされ、ヘッドライトが角型2灯式に改められ、1985年にアルファロメオ・90に世代交代して生産中止されるまでに1万2,070台が生産されます。登場が遅きに失したため、商業的に成功したモデルではありませんでした。日本にはデビュー直後、当時の正規代理店伊藤忠オートによって、サンプル的に数台が輸入されただけで、日本のアルフェスタにもなじみの薄いモデルです。 この車で最も注目すべきは、その名前の由来でもある6気筒エンジンです。1968年に2600が消滅した後、10数年ぶりとなるこのエンジンは、改良を重ねられ四半世紀もの永きに亘って第一線で活躍、フィアット・グループ内の他メーカーに…

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アルフェッタ(ベルリーナ)

1972年、アルフェッタが新設計の中型車シリーズとして、また1960年代の主力車種1750系の後継車種として発表されます。いっぽう、1750は2000ccにエンジンを換装し、アルファロメオのトップモデルとして1977年まで継続生産されることになります。写真は、PMAのの1972年alfaromeoalfetta1.8です。 その名前は、戦前の名グランプリカー、ティーポ159アルフェッタに由来するもので、その名にふさわしく、レーシングカーや高性能車に好んで採用されてきた機構、前身5段のギアボックスをフロントエンジンから切り離してリアに移設されディフェンシャルギアと一体になるトランスアクスル方式の採用、ド・ディオン・リアクセルを採用するなど、野心的なシャシー設計を特徴とします。従来のジュリア系から引き継いだのは1779CC4気筒ツインカムエンジン(122PS)だけで、あとはすべてアルファッタのために新規開発されたものです。 当時のスポーティサルーンとして理想主義的成り立ちのアルフェッタですが、実際に路上に現われた車もシャープなハンドリングと快適な乗り心地を見事に両立し、当時のレベルを遥かに超えた素晴らしい出来の車でした。その反面、アルフェッタは当時のイタリア車に付きものの雑な工作や不十分な錆対策、更にはギアボックスからシフトレバーまで長いロッドでつなぐための不快なシフトフィーリング、エンジンと等速で回転するプロペラシャフトの振動など設計上からの固有の欠点に悩まされ続け、傑出した基本設計にも…

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アルファロメオ・ミト

欧州で2008年7月に発表されたMiToは、ピッコロ・アルファ(ベイビーアルファ)の愛称でデビュー前から呼ばれていましたが、アルファロメオのボトムレンジを担う、初のBセグメントのコンパクトカーです。名前の由来はミラノ (Milano) でデザインされ、トリノ (Torino) で生産される事から、それぞれの頭文字をとって「Mi.To」と名付けられました。「Mito」にはイタリア語で神話・伝説の意味もあります。 ミトはフィアットのグランデプントをベースとし、ボディサイズは全長×全幅×全高=4070×1720×1475mmですが、ライバルのひとつと目されるMINIと比べると、370mm長く、35mm幅広く、45mm高いことになります。国産コンパクトカーと比べても、「やや大き目なコンパクトカー」といったところでしょうか? ミトのスタイリングですが、フロントマスク全体、サイドウィンドウのグラフィックス、LEDを用いた円形テールランプなどフラッグシップスポーツカー「8Cコンペティツィオーネ」を彷彿させるディテールが盛り込まれ存在感のあるデザインかと思います。しかし一方で真正面から見た姿などは新規の女性客獲得を意識した、かなりファニーな印象も与えるデザインでもあります。ミトは均整のとれた美しい車なのか? と問われたら、多くの人が答に窮すると思いますが、ミトもまた伝統の盾型グリルを採用するなど間違うこともないアルファの車であることは確かです。 今、ヨーロッパではガソリン・エンジンの小型化+ター…

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アルファ33

1983年にデビューしたアルファ33は、総生産台数ではスッドに継ぐモデルですが、日本では日英自動車が僅か数台を正規輸入したに過ぎず、日本ではなじみの薄いモデルです。33の名は'77年にFIA世界スポーツカー選手権でワールドチャンピオンに輝いた33TT12と同じく、水平対抗エンジンを搭載していることにあやかったものです。写真はペゴのalfaromeo331.7IEです。 アルファ33を語る時、日本での「アルファの空白のとき」の話から始めるのがいいと思います。1963年12月から、ジュリアシリーズ、アルファスッドなど懐かしいモデルの大半を輸入販売していた伊藤忠商事(輸入元)、伊藤忠オート(販売元)が1983年に輸入車販売から撤退します。ちなみに日本で、外国の車の輸入自由化されたのが1965年(関税自由化は1978年)からですが、現在の輸入車販売の主流であるメーカーが設立した日本法人が直接に輸入・販売する形になる前の、日本資本のさまざまな業種企業がインポーターとして登場する輸入車販売の黎明期の話です。 伊藤忠に変わって1983年から変わってアルファ・ロメオを手がけたのが、文字どおり英国車の輸入販売がメインであった日英自動車(日本交通系)です。アルファ33、スッド、スパイダーなどの一部の車種を少量輸入販売しましたが、日英自動車が1985年5月にオースティン・ローバー・ジャパンになった時点で、アルファの代理権を返上したためアルファロメオの正式な輸入は途絶えます。1986年にはアルファロメオ・ジャ…

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アルファロメオ・アルナ

アルナはヨーロッパに拠点を得たい日産自動車と、収益率アップを図りたいアルファ・ロメオ社が提携し、新会社ARNA(Alfa Romeo Nissan Autoveicoli)を設立し、スッドのポミリャーノ・ダルコよりも更に南側、イタリア半島の先端近くにプラトーラ・セラ工場を建設します。日産の最新技術による生産ロボットも積極的に導入しましたが、そこで1983年から1987年まで製造・販売した小型大衆車が同社の頭文字から命名されたアルナです。 日本から輸送した二代目日産『パルサー』のボディとリアサスペンションに、イタリアでスッドのボクサー4気筒1.2/1.5ℓを搭載と変速機、フロントサスペンション組み合わせた文字通りの混血モデルです。また、アルナ1.5ℓモデルと同じ中身で、日産のグリル、エンブレムを装着した「ニッサン・チェリー・ヨーロッパ」も同じプラトーラ・セラ工場で製造され、スッドよりも更に下のクラスとして日産のネットワークで販売されました。発売当初は、アルファスッドの1166cc63馬力エンジンを持つ3ドア(L)と5ドア(SL)の2車種でしたが、翌1984年に3ドア1300ccのTIが追加され、1985年には1500ccのTIモデルも登場します。この車種は「ニッサン・チェリー・ヨーロッパGTI」としても売られます。 1986年にフィアットがアルファ・ロメオを買収したことでアルナはプロジェクト自体が頓挫してしまいますが、日産との合弁はビジネスとしては失敗でしたが、アルファロメオが日…

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アルファスッド

アルファスッドは1971年から89年まで製造、販売していたアルファロメオのボトムレンジを担う小型大衆車です。 スッドを語る場合、名前の由来でもあるイタリアの南北問題について触れずして話を進めるわけにはいけません。われわれ日本人から見れば単独国家のように見えるイタリアですが、歴史的、民族的に異なった背景をもつ南北イタリアが統一されたのは19世紀末(約140年前)のことです。北部は酪農と工業が盛んで古来から裕福でしたが、南部は農業中心で比較的未開発でした。 南北の経済的格差を埋めることはイタリアにとって重要な国家政策であったのです。アルファロメオの、親会社に当たるI.R.I.(産業復興公社)がそれまで工業従事労働機会のほとんどなかった南イタリアのナポリ近郊、ポミリャーノ・ダルコ(Pomigliano d'Arco)に小型大衆車工場を建設し、この地域の雇用を創出するプロジェクトを計画、そのための生産車種として開発されたがスッドです。。アルファ・ロメオのエンブレムには当初「MILANO」の文字が刻まれていましたが、1972年、突然エンブレムから「MILANO」の文字が消えます。ミラノ以外に工場を持ったため、ミラノの「MILANO」文字を消したのです。ちなみにSUDとはイタリア語で「南」を意味し、ミラノで生産される車はノルド(北)系と呼ばれ、区別されました。 アルファ・ロメオ初のFF市販乗用車アルファスッドは、低重心の水平対向4気筒エンジン、特にフロントはイン…

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ジュリエッタSZ

ジュリエッタ・シリーズはアルファロメオにとって未曾有の大ヒットモデルとなりますが、中で最もチューンの高いのが、SS(スプリント・スペチアーレ)とこのSZ(スプリント・ザガート)です。1959年のトリノショーでデビューしたSZはジュリエッタシリーズの最高峰というべき憧れの存在でした。コンペティションを目的としたSZはフロアパンやパワートレーンはスパイダーと共通ですが、ボディはアルミ製で、デザインと架装はザガートが担当しています。写真はバングの1960AlfaLomeoジュリエッタSZです。 SZは当時の1300ccとしては驚異的な性能を誇り、61年タルガフローリオのクラス優勝をはじめ、無数のラリーやレースでの活躍は多岐に渡っており、アルファロメオとザガートの名声を共に高める上で大きな役割を果たします。     現在、その余りにも可愛らしいスタイルから真のパフォーマンスを見逃されがちなジュリエッタSZですが、基本はあくまで強力なレースカーです。空力を優先するデザインが重要視されるようになってから、速いクルマ、強いレースカーと美しさや可愛らしさが両立し得なくなりますが、1970年代までは辛うじて両立していたのではと思います。 アルファロメオ・ジュリエッタSZは1961年の終わりまでに合計200台余りが生産されます。サーキット上でのアルファの伝統は63年に、より高度なチューブラーフレームを持つTZにバトンタッチします。 ちなみに、プライベートレーサーのドーレ.レート.…

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アルファ・ロメオジュリアスプリントスペチアーレ 

ほぼ、同じような時期に、2200mmのホイールベースを持つジュリエッタスパイダー用のシャーシーと、100HPにチェーンされたエンジンが、ザガートとベルトネーネに渡されましたが、これにスペシャルメイドのボディーを架装したのが、ジュリエッタSZとジュリエッタSSです。 フランコ・スカリオーネの空力的なボディを架装したジュリエッタSSは、いくつかの小変更を繰り返した後、1963年に1.6ℓエンジンが搭載されたジュリアSS(スプリント・スペチアーレ)となります。その流れるような流線型のボディのお蔭でスパイダー・ベローチェと同じ112PSながら、トップスピードは30km/hも高い200km/hに達しました。長距離高速トゥアラーとしての性格ゆえ、フロントガラスの前には虫除けのプラスチックスクリーンが備えられています。このスペシャルジュリエッタは好評を博し、ジュリエッタSSで1366台、ジュリアSSは1400台が作られました。写真は、M4社製のALFA ROMEO GIULIETTA SS TOY FAIR 2008 NUREMBERGです。 「グランツーリスモ4」のアルファロメオ ジュリア スプリント スペチアーレ '63です。

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アルファロメオ・2000/2600

戦後のアルファロメオを支えた1900ですが、誕生から10年近くが経過するとさすがに古さが目立ちだします。そこでアルファロメオは1958年に、1900のエンジンとシャーシを拡大/モダナイズした車体に自社デザインのボディーを架装した4ドア6人乗りセダン(ベルリーナ)、2000を送り出します。さらに同年、カロッツェリア・トゥーリングがボディ架装を担当する2ドア2シーターのスパイダーが、1960年には2ドアクーペの「スプリント」が追加されます。その後1962年には、2600に発展します。2600系は1968年・前年にデビューしたジュリアの拡大版である1750系(4気筒1750cc)に交代する形で消滅します。 2000シリーズは、1900に端を発する4気筒DOHCユニットを、1900ベースに拡大/モダナイズを施したモノコックボディに搭載したモデルです。ホイールベースを2720mmまで延長し、サイズはプレステージサルーンの領域に達しており、そのスタイリングは、大型車特有の鷹揚さとエレガンスが漂います。ボディサイズの拡大によって1340kgになったボディを160km/hまで引っ張っぱりました。写真はバング製の1960年のアルファロメオ2000スプリントです。 また同年に、2ドア2シーターのスパイダーもデビューします。2000ベルリーナのホイールベースを220mm短縮したシャシーに、第二次大戦前からアルファ・ロメオのシャシーに数多くの傑作を架装してきたミラノの名門カロッツェリア、トゥーリン…

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1900M AR51

アルファ・ロメオの完全戦後型モデル、1900のパワートレーンを流用した4WDモデルが1900Mです。1949年の北大西洋条約機構(NATO)軍設立に伴い、1950年にイタリア防衛省が行なった、軍および警察用多目的車両の入札参加のために開発されました。1900Mの“M”はMilitare(ミリターレ=軍)の頭文字です。第二次大戦中に世界の戦場で活躍したアメリカのジープの影響を受けたシャシー/ボディに、1900用の直列4気筒DOHC(!)1884ccエンジンをロードクイアランスを稼ぐためドライサンプ化して搭載、副変速機付トランスミッションを介して通常は後2輪、またはトランスファーレバーの作動で4輪を駆動します。写真は、progettoK製のALFALOMEOAR51"MATTA"STRADALE OPEN1951です。 1900Mは“51年式偵察車両”として正式採用されたことから、“AR(Autovettura da Ricognizione=偵察車両)51”と名付けられ、翌1952年までに1921台が生産されます。また翌年には民生用モデルのAR52も追加され、こちらは154台が造られた。ちなみに、このモデルが一般的に“マッタ(Matta=狂った、常軌を逸したの意)”と呼ばれたのは、『どこでも走る』と大々的に歌われた当時の広告コピーが原因とも言われています。 アルファロメオに関心があり、かつミニタリー嗜好の方(そんな人がいるでしょうか?)にぴったりの車ではあります。 …

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アルファロメオ・1900

第二次世界大戦中、アルファロメオは軍需品も生産していたこともあり、工場が連合軍の攻撃目標となり甚大な被害をこうむります。戦争が終わると乗用車の生産を再開しますが戦前から生産されていたモデルは戦後 3 ~ 4 年で生産を終了します。 1950 年、アルファ・ロメオにとっては初の純戦後設計モデルである1900が登場します。これまでの高品質・超高性能な車を少量生産するメーカーから、量産メーカーへの転進により、クルマ作りを 180 °変えるのを余儀なくされたアルファロメオですが、1900は中型乗用車にも関わらずこれまでの6Cよりかなり安い価格設定とアルファ・ロメオらしい高性能と上質さで大好評を博します。戦後のアルファロメオの方向性を決定した重要なモデルです。写真は、M4社製のアルファロメオ 1900 TI モンテカルロ 1953 です。 6C2500シリーズでは独立懸架が採用されていたリアサスペンションは 1900で はコイルスプリングながらリジッドに戻されるなどコストを意識した設計が見受けられますが、フロントにはダブルウイッシュボーン、アルファ・ロメオとしては初めての経験となるモノコックボディの採用、4気筒のシリンダーブロックの上にはアルミ製のDOHCヘッドが輝くなど、やはり世間一般の実用サルーンと血統が違うことは明らかであり、当時の2リッター級サルーンとしては、世界最速車の一つです。 1950年のデビュー当初は、1884ccにシングルキャブレターで80PSのベルリーナのみでしたが…

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四国自動車博物館

四国自動車博物館にALFA ROMEOを見に行ってきました。アバルト、アルファロメオ、ランチアなどの欧米のレーシングカーやラリーカーを中心に、国産車トヨタ2000GT、モーターサイクルではホンダCR93、RCB481Aなど当時のエポックメーキングなコレクションが二輪、四輪あわせて約70台展示されています。1990年に地域活性化を目的に大豊町で開館しましたが、2001年12月 に現在の所在地である高知県香南市野市町に再オープンしています。アルファロメオの展示は5車種です。訪館時に写真撮影と、ブログ掲載の了解をいただきました ※当記事は、2020年2月に記載内容の見直しを行いました。 AlfaRomo155V6TIDTM(Deutsche Tourenwagen Misterschaft)は、ONS(ドイツナショナルモータースポーツ協会)が1984年に始めたツーリングカーレースシリーズです。FIAが主催していたETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)は、グループA規定で排気量によるクラス分けがおこなわれていたのに対し、DTMでは排気量は関係なく、すべてのマシンに総合優勝のチャンスを与えたことが特徴であった。また、ETCは耐久レースに近かったのに対し、DTMではスプリントレースを基本にすることで、大排気量のマシンと小排気量のマシンがまったく同じ土俵で優勝を争う刺激的なレースであった。(四国自動車博物館の注釈)激しいバトルでF1と並ぶ程の人気を誇ったDTMの155 V6 TIは155 GTAを基…

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モントリオール

アルファロメオモントリオールは、1967年モントリオールの万国博覧会に出展されたことからこの名が付いたアルファロメオのGTカーです。これはアルファロメオ・ジュリアの1600ccのエンジンと車台を使用する2+2クーペで、ボディーがベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによって設計されています。1964年に発表されたデザインモデル・カングーロの影響が散見されるともいわれています。量産車は1970年のジュネーブモーターショーで発表されました。モントリオールは、1977年に生産終了となるまでの7年間におよそ3,700台が生産されました。ユニークな開閉機構を持つセミリトラクタブルヘッドランプが最大の特徴です。写真はミニチャンプスのalfaromeomontreal1973年です。 ちなみにモントリオールの次に万博が開かれたのが大阪で1970年のことです。日本を覆いつくした空前のスーパーカーブームが起こったのが1970年代の始めの頃のことであり、高度成長期もそろそろ終わりに差し掛かかろうかという頃の話です。日本には当時の正規ディーラーであった伊藤忠モータースが10台輸入したといわれています。当時サラリーマンの平均初任給が4万円程度だった頃に770万円のプライスタグをつけていました。 搭載されたエンジンはGiulia系の4気筒DOHCではなく、Tipo33のV8エンジンをデチューンしたものを実用性を高めるため、フロントに搭載していますが200hp/6500rpmの出力を誇り、最高速度は220k…

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TZ1とTZ2

Alfa Romeo Giulia TZ (別名Alfa Romeo TZまたはTubolare Zagato )は、1963年から1967年にかけてAlfa Romeoが製造したスポーツカーおよびレーシングカーです。様々なレースの1300ccクラスをGiuliettaSZで戦ったアルファロメオですが、ひと回り大きい1600ccのジュリアが誕生すると、コンペティション・ユース主体の顧客の中からもSZより一層高性能な車への要求が高まり、その声に答えるべく誕生しました。TZ1とTZ2がいったい何台造られたかは、諸説がありますが、TZシリーズは12台のTZ2を含めて総計124台が作られたというのが定説です。TZ3は、アルファロメオ創業100周年を記念して生まれた販売や競技を目的としないコレクターズカーで割愛します。上の写真は四国自動車博物館展示のTZ1(右。旧展示車)とTZ2(左)です。 TZ1は、SZと比べ、市販ジュリエッタのフロアパンから専用鋼管スペースフレームに、ブレーキは後輪リジットからダブルウイッシュボーンの四輪独立懸架に、エンジンはジュリッタ用の1300ccからジュリア用1600ccに強化され、SZ同様にザカートがデザインしたアルミニウム製ボディーを架装します。総重量660kgの軽量ボディーとあいまって、最高速度は216km/hに達しました。以上から、TZはGiuliaの名称は付いていますが、エンジン以外はジュリアとは何の関係もない純コンペティションカーといえます。写真は、BE…

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1750/2000ベルリーナ

アルファ・ロメオの最上級サルーンである2600(6気筒)のカタログ落ちが決定されると、ジュリア・スーパーのアッパークラスに相当するモデルが待望され、マーケットのリクエストに応えるかたちで1968年、1750ベルリーナが発売されます。ジュリア・スーパーのモデルチェンジではなく、併行生産というかたちでした。ジュリア系ベルリーナの記事で簡単に触れましたが、アルファロメオ1750ベルリーナには、ジュリアの名こそつかないもののウインドウスクリーンをはじめ多くのパーツをジュリアと共用する、実質的にはジュリア・スーパーのストレッチ・バージョンでした。上の写真は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にあった2000ベルリーナの画像です。 ベルリーナのみホイールベースが2350mmに延長され、ベルトーネにより美しくシンプルな、ジュリア・スーパー系を引き伸ばしたようなデザインのボディーを与えられ上級感を演出しています。またベルリーナのエンジンはボア×ストロークとも延長した1779cc4気筒アルファツインカムエンジンですがレブリミットは7000 rpmから6000 rpmに下げられ、セダン用に低速域で扱いやすいよう改善されています。本来であれば「1800」の名前がふさわしいのですが、戦前の名車にちなんで「1750」と呼ばれました。このへんの事情はスプリントやベルリーナと同様です。室内はホイールベースの延長もありスーパー以上に広く、またトランクルームもボクシーなボディーのおかげで広大でした。175…

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ジュリア・クーペ

1963年、TIから遅れること1年でジュリアの2ドア4座クーペ、ジュリア・スプリントGTがデビューします。全長4076×全幅1587、ホイールベースはセダンより160ミリも短い2350ミリというコンパクトな外寸の中で、フル4シーターの実用性とジウジアーロによるスタイリッシュなクーペならではの流麗さを両立させたデザインは現在も多くの人々を魅了しています。エンジンは基本的にはジュリア1600スプリントと同じDOHCですが、9:1の圧縮比とツインキャブにより106HPの高出力を得、セダンより軽い(950kg)車体をセダンより15km/h上回る180km/hまでひっぱることができました。上の写真はLeo Models製の1:24スケールAlfa Romeo Giulia GT 1300 Junior - 1966です。日本未輸入モデルだと思います。ベルリーナと同様に、車種体系はなんども整理されています。ジュリア・クーペの変遷を年代を追って見てみます。 ・1964年、スプリントGTCがスプリントGTの最初のバリエーションとして登場します。「C」はコンバーチブルまたはカブリオレを意味しています。カロッツェリア・トゥーリングがオープンに改造したモデルで、スパイダー(デュエット)系が登場するまでの約1年間に1,000台程度が生産されました。 ・1966年にスプリントGTがなくなり、109馬力となってトルクも増強された高性能版のスプリントGTV(Veloce)に発展します。ちなみにV…

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ジュリアTI/TIスーパー/スーパー

ジュリアベルリーナは「醜いジュリア」のニックネームで親しまれていますが、実は本格的な風洞実験が施されたこの当時では極めて珍しい空力テクノロジーが導入された世界最初のサルーンでした。そのボクシーなスタイルとともに、フロントグリルの大小一対になった異型4灯ライトと伝統の「アルファの盾」の組み合わせがクラシカルで印象的です。流麗ではないが、個性溢れるジュリアの姿は40年以上を経た今もなお、色あせることなく多くのファンをひきつけています。上の写真はミニチャンプスのアルファロメオ ジュリア 1600 1970 レッドです。 ベルリーナ生産の17年間の流れを、年代を追ってまとめてみました。製造年月とか、製造台数等諸説がある事項もあります。また間違った記述があればご指摘ください。訂正しますのでよろしくお願いいたします。 ・1962年、最初のジュリアである4ドアセダン、TIが誕生します。TIは、1570ccのエンジン(ジュリエッタのボア4mm、ストローク7mmの拡大判)とシングルキャブの組み合わせで92HPを発生し、最高速は165km/hに達しました、当時の4ドアセダンとしては十分に高性能でした。このモデルは1967年まで生産され、7,1000台あまりが生産されたと記録されています。 ・1964年、ジュリエッタから引き継いだDOHC1290ccのシングルキャブエンジン(78HP)を搭載した、燃費と経済性にすぐれた1300が登場ます。販売台数的にはこちらが主流でした。1300はヘッドライトが4灯か…

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ジュリアの系譜(105・115系)

ジュリアは1962年の誕生いらい、10年あまりの間に100万台を生産しますが、アルファロメオにとってジュリアの時代は、ひとつの頂点であったことは異論はないでしょう。戦後、ジュリエッタ(101系)によって量産メーカーへの転身を確固たるものにしたアルファロメオですが、年間生産台数1万5000台程度の小規模なスペシャリストから、、年間生産台数10万台(69年)規模の量産メーカーに成長する原動力が次に登場したジュリア・シリーズです。シャーシー・ナンバーが105から始まり通称105系と呼ばれますが、機構的には、ジュリエッタ(101系)のものをほぼそのまま踏襲しています。たとえば、エンジンについてはジュリエッタのボアとストロークの拡大版ですし、足周りを含めたシャ-シー・レイアウトも、基本的にはジュリエッタのものを踏襲しています。伊藤忠オートによってスプリントGTが輸入されたのが1963年12月のことであり、日本でアルファロメオが認知されたのはジュリア以降の話です。上の写真はサークルK。サンクス限定のアルファロメオ食玩シリーズから、4車種のピックアップです。 「ジュリア」は、それまで販売されていた「ジュリエッタ」(1.3リッター)のお姉さんという意味から名づけらた名前です。アルファロメオの1.6リッタークラスの車を総称して、「ジュリア」と呼ぶことが多いのですが、ジュリア・スプリント、ジュリアセダンTI、ジュリアスパイダーの3種類のモデルがありました。アルファロメオの1.6リットル直列4気筒エンジンは、…

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アルファロメオ1600JUNIOR Z

ジュニアZは、1969年のトリノ・モーターショーでヒット作であったジュリアGT系のスペシャルモデルとしてデビューします。ジュニアZの「Z」はいうまでもなくカロッツェリア・ザガートのイニシャルです。いわば1300GTジュニアのザガートボディ・バージョンですが、従来のザガート製アルファロメオ(ジュリアTZ・ジュリエッタSZなど)と異なり、レース出場を目的としない純粋のロードカーとして設計されています。右はスパーク社製の1970モデルのジュニアZ1300です。このモデルは、人気が高く再販(スパークは再販が時々あります)されたと記憶しています。ミニチャンプスと比べても遜色ないと思います。1600と比べ全長が短いのが特徴で、リアオーバーハングが精悍な印象を受けます。 アルファ4気筒ツインカム1.3リッターエンジン(89HP/6000rpm)は5段ギアボックスとともにジュリア系ショートシャシー(ホイールベース2250㎜のスパイダー用)に乗せられ、2座クーペボディを架装した970kgのジュニアZを、0~400mを18.9秒、175km/hまで引っ張ります。1972年、小変更と同時にエンジンを1570ccに拡大し1600ジュニアZに発展します。右の写真は、ミニチャンプス製アルファロメオ 1600 JUNIOR Z 1972 イエローです。 ジュニアZは、当初からジュリアの部品を流用して大量生産が予定されており、カロッツェリアの近代化路線(デザインのみではなく少量の特殊なモデルの生産委託を全面的…

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サークルKサンクス限定歴代アルファロメオのミニチュアカー(1/100Scale)

京商は、フェラーリなどの自動車メーカーと飲料キャンペーン景品における製造および販売の契約を締結し、1/100スケール ミニカーコレクションシリーズ展開しました。アルファロメオも数シリーズが発売されています。全国の「サークルK」「サンクス」で、飲料メーカー4社の飲料に添付するおまけキャンペーンとしておこなわれました。「おまけ」として玩具を添付した食品(もしくは飲料)を食玩(食品玩具)と呼ばれますが、消費者のコレクション意欲を喚起し大人買いを誘発するように作られるそうです。やられました。 ◎「京商アルファロメオサークルKサンクスミニカーコレクション」・アルファロメオ( 1:100 Scale)8車種24種類・期間:2007年1月22日(月)~・内容:伊藤園お~いお茶緑茶ホット/カルピスほっとレモン/コカ・コーラ紅茶花伝ロイヤルミルクティーホット/サントリーリプトンリモーネホット/コァ・コーラジョージアカフェエルプレッソ/サントリーボスレインボウマウンティン/ アサヒワンダーモーニングショット/キリンファイア挽きたて微糖1本に1個。 ■Giulia GTA 1300 Junior 1968■Giulia T.I 1962■1750 Spider Veloce 1970■S.Z 1991■156 1997■Brera 2005■33 Strade 1968■147 GTA 2002 ◎「京商アルファロメオ第2弾 サークルKサンクスミニカーコレクション」パート2・アルファロ…

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PEGOのミニカー(145&146)

ペゴはPEGO ITALIA社が2008年に新しくスタートさせたブランドで、この会社はプロゲット K ブランドでもミニカーを作っているということが、最近わかりました。made in Chinaのペゴは、細部の作りがよくないと評されることが多いですが、模型に恵まれないアルファロメオ145,146をリリースする数少ないメーカーです。写真は2009年3月発売のPEGO製アルファロメオ145(赤)です。 ALFAROMEO145と146のパッケージの書いてある「PEGO」のロゴですが、最初はメーカー名なのか、既存メーカーのブランド名なのかわかりませんでした。購入店の店長さんも不明とのことなので、最近、日本に輸入された製品です。品番で見るとPROGETTOKは、「PK×××××」(←×は3けたから5けた)ですが、PEGOは「PG××××」(←×は4けた)で似ています。 145と146のパッケージを見ると、ダンボールやブリスターにダメージがあったり、背景のバックボードがセロテープ留めだったりで、とても5000円以上する製品とは思えません。最近は、ミニカーもMADE IN CHINAが多くなり、本国で製造するメーカーが少なくなりました。一時期、評判の良かった「SPARK」も最近はデカール貼り等にむらがあり「?」という話を聞くと残念です。1高額モデルでしか品質が保障されないというのは悲しすぎます。 2009年7月29日追加 1970年代に家族経営の事業として、イタリア車…

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ALFAROMEO145&146

長年欲しかったALFAROMEO145と146(PEGO)のミニカーを偶然店頭で見つけました。ALFAROMEO145は1994年に発売されたアルファ・ロメオ社としては久々の3ドアハッチバックで、33に代わって同社のボトムレンジを担うモデルでした。エンジン排気量は1.3Lから2.0Lまで多種ありエンジン型式も水平対向4気筒OHC、水平対向4気筒DOHC、直列4気筒DOHCエンジン、4気筒ターボディーゼルエンジンと多様で前輪を駆動します。145はアルファ・ロメオの正規輸入元であるフィアット&アルファロメオ・モータース・ジャパンにより、1996年から輸入が開始されましたが、スポーツモデルにあたるクワドリフォリオ(2.0L直列4気筒DOHCツインスパークエンジン、右ハンドル、5速MT)の1グレードのみの輸入でした。ちなみにクワドリフォリオとは、伝統的にアルファ・ロメオのスポーツモデルに与えられる名称で、ボディに四葉のクローバーを模したバッジが貼られます。1999(H11)年9月、 145にフロントマスクを中心としたマイナーチェンジ が施されました。フロントバンパーがボディと同色に、また両ヘッドライトの間にあるフロントパネルのスリットを新デザインに、またフロントにスカートが追加されています。さらにリアバンパーをボディ同色としたほか、リアルーフスポイラーを標準装備として追加したりリアのリフレクターランプなどのディテールまで細部の見直さしがなされました。写真はPEGOのAlfa 145です。 いっぽ…

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アルファロメオ156(ポリス仕様)

ミニチャンプスからアルファロメオ1561997ポリス仕様が発売されています。日本人にとってパトカーといえば、白と黒(いわゆるパンダカラー)の車体に赤いパトランプがついたクルマです。。ミニカーにも警察車両シリーズがあり、ご当地○○県警シリーズとか様々なバリエーションがあり、コレクターにはたまらないアイテム?になっています。スピード違反の取り締まりでは、あまりお世話になりたくないパトカーですが、ミニカーのパトカー人気は別のようです。 世界中には色とりどりのデザインのパトカーがあります。しかも国によってカラーリングが違います。ドイツのパトカーは、ほとんどが緑と白に青いパトランプというデザインです。車体全体が緑のものから、緑と白のツートンになっているものとさまざまなバリエーションが楽しめます。ちなみにドイツ語で警察は、POLIZEIといいます。ドイツで最も標準的な警察車両といえるのがCクラスのパトカーですが、ベース車両が156というのはは耐久性とかメンテナンス性で、あまり警察車両向きではないと思うのですが、レア物であることは確かだと思います。ドイツは、ミニチャンプスやシュコーなどミニカーの有力ブランドが集まっており、そのためパトカーのミニカーもかなり豊富です。写真はミニチャンプスのAlfaRomeoGiulia1970POLIZIAです。

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アルファロメオ GTV

アルファGTVは、80年代のアルフェッタGTV以来、長い間途絶えていたアルファ伝統の車名を復活させたFF高性能スポーツクーペです。GTVとは、Gran Tourismo Veloceの略で、速いGTカーを意味します。エクステリアは、「ピニンファリーナ」に在籍していたエンリコ・フミアで、独立した小さな4つのライト、サイドラインで強調された極端なウェッジシェイプ、非常に短いリアオーバーハングなどGTVであることが遠方からでも認識できるデザインです。写真は、ミニチャンプスのアルファロメオ GTV 2003 ブルーです。 GTVは、1994年のパリ・オートサロンでデビューしました。916型GTVはフィアット・ティーポ系(155と同様)のプラットフォームを流用していますが、リアサスペンションを新設計の専用マルチリンクとすることによって優れたハンドリングを実現した、横の写真は同じくミニチャンプスの2004年モデルの色違い(赤)モデルです。2003年以降のモデルは、フェーズ3とよばれ、アルファロメオの盾、つまりフロントグリルのデザインが一新されています。マイナー前のモデルは残念ながら持っていません。 アルファ GTV は1996 年 1 月より日本での販売が開始され、当初 は2.0リッターV6ターボでしたが、1998年10月に3.0リッターV6NAエンジンに移行、さらに 2003 年 7月のビッグマイナー時に新型の3.2リッターV6エンジンのみになり、最終モデルは3.2リッターと2.0リ…

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