アルファロメオ・SZ/RZ 

1989年、アルファロメオのザガートモデルとしてSZが久々に復活します。ジュニアシリーズ(ジュリアの小排気量版)をベースとしたジュニアZ以来、15年ぶりです。SZ(Sprint Zagatoの略)を名を冠していますが、“Il Mostro(=Monster)”とあだ名される旧来の自動車美の常識を根底から覆すようなスタイリングは、実際にはフィアット・グループのデザインセンターの基本デザインを採用、それにアルファロメオ案の一部を取り入れ、ザガートがリファインしたコラボモデルといわれています。製造はミラノにあるアルファ・ロメオの工場に近いザガートのファクトリーで行なわれました。SZ(開発ナンバーES30)は、アルファ・ロメオにとっては20世紀最後のスーパースポーツであり、またアルフェッタ以来のトランスアクスルモデル、更に言えば後輪駆動アルファの最終到達点ともいうべき記念碑的モデルです。写真は上が1989年SZと、下が1992年のRZで、どちらもスパーク製です。 シャシーは、当時グループAツーリングカーレースで活躍していた75ターボをベースにチューニングしたものですが元々素質に優れたアルフェッタ系のシャシーであり、トランスアクセルレイアウトとあいまり、前後の重量配分は56:44となりFR車としては素晴らしいハンドリングマシーンでした。エンジンは75-3.0V6アメリカ、及び164と共用の3ℓV6ユニットを210PSまでライトチューンして搭載しています。パフォーマンス的にはスーパースポーツとはいい難い…

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淡路島を自転車で走る(北半分)

関西人にとって淡路島一周は「淡一」の名前で親しまれるツーリングコースです。海岸線を走れば潮風が心地よく、山越えするとワインディングロードを楽しめます。島全体を走れば150Kmから200Kmのコースですが、ショートカットも可能です。体力と割ける時間によって1日から2日のコースにです。わたしは関西に10年ほどいましたが、そのころの友達に洲本出身のM君がいました。そのひょうひょうとしたキャラクターと淡路弁は今も鮮明で、どんなところで育ったら彼のようになるのか、不思議に思ったものです。で?淡路島にいってきました。←理由になっていません。 新快速の車内です。輪行バッグは、運転席の後ろに置きました。誤解ないよう書きますが、女性運転士の運転を見ているメガホン持参のこてこての阪神ファンのおっちゃんは私ではありません。 今回は明石からたこフェリーで淡路島に渡りました。土曜日のせいかツーリングのオートバイと自転車が自動車より多かったです。岩屋側からフェリーを写してみました。料金580円の約20分の旅でした ※たこフェリーは、2010年11月15日から運航休止です。自転車は高速船「淡路ジェノバライン」で運べます。(2011年2月追記) ※↑の「詳細」からGPXのダウンロードとプロフィールマップ、GPSログ解析が見られます。 ※フェリー乗り場先の信号で国道28号線(洲本方面)を選べば東回り、県道31号線(富島方面)を  選べば西回りです。 ここから本文です…

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奥出雲に行ってきました 自転車は?

奥出雲に日帰りで出かけました。観光地の特色を端的に表わす言葉として、「○○の小京都」という言葉が使われます。小京都はなんとなく京都に雰囲気が似ているということでしょうか?以前テレビで見た「ポーランドの京都」にいたっては???ですが。 一方、「○○の奥座敷」のように「奥」がつく観光地も数多くあります。「交通の便は悪いが、街の喧騒を離れて落ち着いた時間を過ごすことが出来るところ」を連想させます。奥出雲はまさに出雲の「奥」、深く入ったところでした。 奥出雲地方と呼ばれている奥出雲町は、広島県に接する中国地方の山間部にある島根県の町です。古事記、日本初期の「ヤマタノオロチ退治」やスサノオノミコトが降臨したと伝えられる出雲神話発祥の地です。松本清張原作の映画「砂の器」で有名になった亀嵩(かめだけ)駅があったり、奥出雲おろちル-プ殺人事件(文芸社)の舞台になりました。 どうやっていくか? ・JR三井野原駅か、出雲板根駅まで汽車でいく場合 広島県の備後落合駅から 島根県の宍道駅までを結ぶ木次(きすき)線で三井野原駅~出雲坂根駅間に三段式スイッチバックがあります。一日上り4便、下りが4便(内1時台がトロッコ車両連結の「奥出雲おろち号」)です。運行日時に注意です。・JR三井野原駅か出雲板根駅まで車を利用の場合東城ICを降りて314号線を北上、約一時間で到着します。三井野原駅には 駐車スペースがなく 線路の反対側のスキー宿(シーズンオフは閉鎖)がありますが、人はいなくても無断駐車になるのでしょ…

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瀬戸内しまなみ海道でサイクリングを楽しむ(反省)

しまなみ海道の記事はすでに書きましたが、走り終えて始めてわかることもあります。以下は反省の記事です。 ※↑の「詳細」からGPXのダウンロードとプロフィールマップ、GPSログ解析が見られます。 ここから本文です 時間に余裕をもった計画が重要です。ツーリング中に休息所に立ち寄らなくても、コース延長70Kmの間にある風光明媚なポイント毎に立ち止まり写真を撮ったりすると大きく時間を失います。今回は、トータルで2時間のタイムロスになり、日没後に走行するはめになって、帰宅が遅れました。向島←→尾道間の渡船は10時まで運行しているそうですが、最悪が野宿というのはいただけません。 地図の準備が重要です。しまなみ海道は、サイクリングロードとして整備されていること、またまんざら知らない土地でもない(生口島、因島に遠い親戚がいます)ので、かんたんな地図しか用意していませんでした。詳細な地図があれば、思わぬタイムロスが防げます。自転車用ナビとかGPSスマホが使えれば便利です。しかし、いちばんいいのは「地元の人に聞く」ことです。人通りが絶えるような時間帯は、走行しないほうがいいです。 起点までの交通手段の確保が重要です。公共交通機関に自転車を持ち込むのか、自家用車で行くかによって検討事項が変わってきます。・公共交通機関を利用する電車やバスの場合、輪行バッグに入れれば「OK」という乗り物が多いのですが、不可の場合もあり、事前の調査や問い合わせが必要です…

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しまなみ海道を自転車で走る!(2)

しまなみ海道を自転車で走る!(1)の続きです。 ※↑の「詳細」からGPXのダウンロードとプロフィールマップ、GPSログ解析が見られます。 本文はここからです 四国から来島海峡大橋を渡ると大島に着きます。橋を降りてすぐ見えるのが道の駅・よしうみいきいき館です。同敷地内にレンタサイクル管理事務所と「島じゃこてん」屋さんがありました。お土産に、いつものじゃこてんを買います。大島島内では他に亀老山展望台(来島海峡一望)、よしうみバラ公園(四国最大級)がサイクリングコースから近いです。 大島側から伯方・大島大橋を見ます。伯方・大島大橋は大島と見近島との間に架かる大島大橋(吊橋)と見近島と伯方島の間に架かる伯方橋(桁橋)の総称です。村上水軍博物館(大島内)への「矢印標識」が見えます。今回は時間がないので立ち寄りません。 伯方島にある道の駅・伯方S・Cパーク内の「マリンオアシスはかた」で伯方の塩ソフトを食べました。意外とおいしいです。駐輪中の高そうな自転車を鑑賞させていただきました。 伯方島から大三島橋を望みます。大三島橋は、伯方島と大三島とを結ぶ弓を上向きに置いたようなアーチ橋です。本州四国連絡橋の中で最初の橋として着工され、開通当時は我が国最長のアーチ橋でした。 大三島の多々羅大橋のたもとの、道の駅・多々羅しまなみ公園です。多々羅大橋が建物越しに見えます。ココを過ぎて多々羅大…

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しまなみ海道を自転車で走る!(1)

サンライズ糸山の、レンタサイクル受渡場所です。多くの人が四国側の起点として考えるのではないでしょうか?わたしのいったのはゴールデンウィーク中で、多くの人が集まっていました。駐車場では、交通整理をしていました。 ※↑の「詳細」からGPXのダウンロードとプロフィールマップ、GPSログ解析が見られます。 しまなみ海道について 瀬戸内しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなります。芸予諸島の島々を橋で結びます。 ・年齢・性別を問わず楽しめますしまなみ海道はサイクリングコースとしてよく整備されているので、誰でも楽しめます。レンタサイクルの前カゴに乗せられた子供さんから、ママチャリの老婦人まで多くの人とすれ違います。・ベテランから、初心者までスキルに応じて楽しめます コース全体は起伏に富んだタフなコースですが、橋や、島内の一部分だけならお手軽なコースです。タイムアタックする人もいますが、景色を見ながらマイペースで走る人のほうが多いです。・「自転車を使った観光」か、「ツーリングの途中に観光」か目的を決めましょう せっかくなのでできるだけ観光したいも「あり」ですが、よくばりは無理につながります。「虻蜂とらず」はつまりませんので、ぜひ立ち寄りたいところ、時間があったら立ち寄るところを、予め決めておきましょう。・あたりまえですが、スタート地点が大事ですスタートが決まると立ち寄れる場所が…

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AR8

AR8は、アルファロメオが1987年にフィアットグループ入りしたことで生まれた商用ヴァンです。ベースとなった車両はFIAT-IVECOのDailyですがフロントグリルにはもちろんアルファの盾が付けられています。 イタリア本国ではアルファロメオ車のディーラーのサービスカーや警察車両、その他キャンパー仕様なども含めて1994年まで販売されていました。写真は、DeAGOSTINI のアルファロメオAR8のイタリア国家警察仕様のポリスワゴン(1988年モデル)です。※イベコは1975年に3ヶ国5社が合併して出来上がったフィアット傘下のトラック専門メーカーです。

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アルファ75

1985年4月,アルファ75は、(二代目)ジュリエッタの後継車種としてアルファロメオのミドルレンジを担うべく発売されます。75の名はデビュー年がアルファロメオ社創業75周年であったことに因ります。当時のアルファロメオは車名に二桁の数字を使用しているケースが多いですが、大衆車クラスの33(アルファスッド後継)の名前の由来は'77年にFIA世界スポーツカー選手権でワールドチャンピオンに輝いた33TT12と同じく、水平対抗エンジンを搭載していることから、中型車クラスの90(アルフェッタ後継)の名は、同社が1990年まで生き残れるよう願いをこめてネーミングされたものです。写真は、上が、PMA製の1989年のAlfaromeo75 3.0V6Americaで、下がPROGETTO製の1988年alfaromeo75turboです。 アルファ90と平行して開発が進められた75はエルマンノ・クレッソーニ率いるアルファ・ロメオ・デザインセンターが手掛けたデザインで、ジュリエッタ譲りの抑揚の強いウエッジシェイプは通常の自動車美の観念から大きく逸脱する個性的なもので、好き嫌いが分かれるところです。 機構的には、経営破綻寸前だったアルファロメオの台所事情を反映し、先代ジュリエッタ(さらに遡ればアルフェッタ)を踏襲しており、トランスアクスルのドライブトレーンにインボードディスクのリアブレーキ、ド・ディオン・アクスルのリアサスペンションという贅沢極まりないメカニズムを持つ最後の量産モデルです。後輪駆動を信奉す…

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アルファ90

ジュリアの系譜(ココ)にすでに書いたように、ジュリアの時代を、ひとつの頂点ととすると、あとは下るのはしごく当然のことです。70年代のイタリア経済は、度重なる労働争議、2度のオイルショックショック等低迷を続ける理由に事欠かず、産業復興公社の管理下で慢性的な経営難に陥っていたアルファロメオもまた、80年台をむかえても低級飛行を続けていました。 1984年、誕生から12年を経過し古さが隠せなくなっていたアルフェッタですが当時のアルファロメオは経営危機の只中にあり、新型車開発資金が乏しかったため、アルフェッタの機械部分はそのまま継承し、下位モデル75をデザインしたエルマンノ・クレッソーニのデザインによる新しいボディ外板を与えられてアルファ90が登場します。翌1985年には早くもフェイス・リフトが行われ、90スーパーとなりますが、この年に登場したルファ75との棲み分けが難しくなり、1990年まで(会社が)生き延びることを願って命名されたアルファ90ですが、1987年に新世代の旗艦、アルファ164が現れると、その短い生涯を閉じます。 90の唯一の積極的な特色はアルフェッタには与えられなかったV6・2500ccエンジンが最上級バージョンに与えられたことですが、これはほぼ同時期に従来のトップモデル、アルファ6も生産中止され、90がアルファの最上級サルーンの役割を負わされたためです。90のスタイリングは、アルフェッタのイメージは残すものの平凡であまり印象に残りませんが、内装・特にメーター周りはけ…

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Alfa 6 (セイ)

1979年、それまでアルファ・ロメオのトップレンジを保っていた2000ベルリーナ(ジュリアの拡大版である1750の2000ccエンジン換装版)に代わる形でセイ(イタリア語で6の意味)がデビューします。フラッグシップとして企画された大型高級乗用車ですが、ベースとなったのは2000ccクラスの中型車、アルフェッタで、ドアパネルなど共用部品も多く、サスペンションも共用しているため車格の割に妙に車幅が狭いバランスの悪いモデル(4.8m近い全長に対し、全幅は1.7m足らず)となってしまいます。また、1973年の第一次石油危機などで開発が遅れた結果、アルフェッタから実に7年もも発売が遅れ、6のスタイルはデビュー当初から古くささを感じさせるものでした。Norevのアルファロメオ 6 セイ・ベルリナです。 1983年にはマイナーチェンジされ、ヘッドライトが角型2灯式に改められ、1985年にアルファロメオ・90に世代交代して生産中止されるまでに1万2,070台が生産されます。登場が遅きに失したため、商業的に成功したモデルではありませんでした。日本にはデビュー直後、当時の正規代理店伊藤忠オートによって、サンプル的に数台が輸入されただけで、日本のアルフェスタにもなじみの薄いモデルです。 この車で最も注目すべきは、その名前の由来でもある6気筒エンジンです。1968年に2600が消滅した後、10数年ぶりとなるこのエンジンは、改良を重ねられ四半世紀もの永きに亘って第一線で活躍、フィアット・グループ内の他メーカーに…

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アルフェッタ(ベルリーナ)

1972年、アルフェッタが新設計の中型車シリーズとして、また1960年代の主力車種1750系の後継車種として発表されます。いっぽう、1750は2000ccにエンジンを換装し、アルファロメオのトップモデルとして1977年まで継続生産されることになります。写真は、PMAのの1972年alfaromeoalfetta1.8です。 その名前は、戦前の名グランプリカー、ティーポ159アルフェッタに由来するもので、その名にふさわしく、レーシングカーや高性能車に好んで採用されてきた機構、前身5段のギアボックスをフロントエンジンから切り離してリアに移設されディフェンシャルギアと一体になるトランスアクスル方式の採用、ド・ディオン・リアクセルを採用するなど、野心的なシャシー設計を特徴とします。従来のジュリア系から引き継いだのは1779CC4気筒ツインカムエンジン(122PS)だけで、あとはすべてアルファッタのために新規開発されたものです。 当時のスポーティサルーンとして理想主義的成り立ちのアルフェッタですが、実際に路上に現われた車もシャープなハンドリングと快適な乗り心地を見事に両立し、当時のレベルを遥かに超えた素晴らしい出来の車でした。その反面、アルフェッタは当時のイタリア車に付きものの雑な工作や不十分な錆対策、更にはギアボックスからシフトレバーまで長いロッドでつなぐための不快なシフトフィーリング、エンジンと等速で回転するプロペラシャフトの振動など設計上からの固有の欠点に悩まされ続け、傑出した基本設計にも…

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アルファロメオ・ミト

欧州で2008年7月に発表されたMiToは、ピッコロ・アルファ(ベイビーアルファ)の愛称でデビュー前から呼ばれていましたが、アルファロメオのボトムレンジを担う、初のBセグメントのコンパクトカーです。名前の由来はミラノ (Milano) でデザインされ、トリノ (Torino) で生産される事から、それぞれの頭文字をとって「Mi.To」と名付けられました。「Mito」にはイタリア語で神話・伝説の意味もあります。 ミトはフィアットのグランデプントをベースとし、ボディサイズは全長×全幅×全高=4070×1720×1475mmですが、ライバルのひとつと目されるMINIと比べると、370mm長く、35mm幅広く、45mm高いことになります。国産コンパクトカーと比べても、「やや大き目なコンパクトカー」といったところでしょうか? ミトのスタイリングですが、フロントマスク全体、サイドウィンドウのグラフィックス、LEDを用いた円形テールランプなどフラッグシップスポーツカー「8Cコンペティツィオーネ」を彷彿させるディテールが盛り込まれ存在感のあるデザインかと思います。しかし一方で真正面から見た姿などは新規の女性客獲得を意識した、かなりファニーな印象も与えるデザインでもあります。ミトは均整のとれた美しい車なのか? と問われたら、多くの人が答に窮すると思いますが、ミトもまた伝統の盾型グリルを採用するなど間違うこともないアルファの車であることは確かです。 今、ヨーロッパではガソリン・エンジンの小型化+ター…

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備中・倉敷あんこめぐり

「備中・倉敷あんこめぐり」(県備中県民局、倉敷市、山陽新聞社などでつくる実行委主催)は、倉敷、総社など7市1町の48店のお菓子屋さんが参加し、各店を紹介したマップを持参し、商品を購入するとスタンプが押してもらえ、応募すれば抽選で商品券(スタンプ3個分)やオーダージーンズ(同15個分)が当たります。 ちなみに、備中国(びっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陽道に位置する。現在の岡山県の西部にあたります。 かつて豊かな自然に恵まれた「備中」は、北海道、丹波と並び三大産地とされ、伝統の老舗をはじめ、地元に親しまれた名店が風味豊かな銘菓を生みました。こだわりの職人が丹念に拵えた「あんこ」を味わいながら、あわせて備中・倉敷の歴史と文化を味わおうという企画です。←「備中・倉敷あんこめぐり」(のリーフレットから りっぱなHPも、ここにあります。とうぜん48個のお菓子の写真がありますが写真を見るだけでお腹が膨れそうになること、うけあいです。 わたしも、一念発起し、歩きつくそう、食べつくそうと思い、土、日に暇を見つけては訪店活動しています、甘い物の摂取過多による肥満、病気の発症には厳しい自己管理が必要です。また、買い求めたお菓子を写真に撮りためています。無事に全店回れたら、あまり見る人もいないでしょうが、アルバムにアップしたいと思います。上の写真は、倉敷阿智神社入り口横の「えびす饅頭」の店頭です。みごとに女性客ばかりです。

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アルファ33

1983年にデビューしたアルファ33は、総生産台数ではスッドに継ぐモデルですが、日本では日英自動車が僅か数台を正規輸入したに過ぎず、日本ではなじみの薄いモデルです。33の名は'77年にFIA世界スポーツカー選手権でワールドチャンピオンに輝いた33TT12と同じく、水平対抗エンジンを搭載していることにあやかったものです。写真はペゴのalfaromeo331.7IEです。 アルファ33を語る時、日本での「アルファの空白のとき」の話から始めるのがいいと思います。1963年12月から、ジュリアシリーズ、アルファスッドなど懐かしいモデルの大半を輸入販売していた伊藤忠商事(輸入元)、伊藤忠オート(販売元)が1983年に輸入車販売から撤退します。ちなみに日本で、外国の車の輸入自由化されたのが1965年(関税自由化は1978年)からですが、現在の輸入車販売の主流であるメーカーが設立した日本法人が直接に輸入・販売する形になる前の、日本資本のさまざまな業種企業がインポーターとして登場する輸入車販売の黎明期の話です。 伊藤忠に変わって1983年から変わってアルファ・ロメオを手がけたのが、文字どおり英国車の輸入販売がメインであった日英自動車(日本交通系)です。アルファ33、スッド、スパイダーなどの一部の車種を少量輸入販売しましたが、日英自動車が1985年5月にオースティン・ローバー・ジャパンになった時点で、アルファの代理権を返上したためアルファロメオの正式な輸入は途絶えます。1986年にはアルファロメオ・ジャ…

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アルファロメオ・アルナ

アルナはヨーロッパに拠点を得たい日産自動車と、収益率アップを図りたいアルファ・ロメオ社が提携し、新会社ARNA(Alfa Romeo Nissan Autoveicoli)を設立し、スッドのポミリャーノ・ダルコよりも更に南側、イタリア半島の先端近くにプラトーラ・セラ工場を建設します。日産の最新技術による生産ロボットも積極的に導入しましたが、そこで1983年から1987年まで製造・販売した小型大衆車が同社の頭文字から命名されたアルナです。 日本から輸送した二代目日産『パルサー』のボディとリアサスペンションに、イタリアでスッドのボクサー4気筒1.2/1.5ℓを搭載と変速機、フロントサスペンション組み合わせた文字通りの混血モデルです。また、アルナ1.5ℓモデルと同じ中身で、日産のグリル、エンブレムを装着した「ニッサン・チェリー・ヨーロッパ」も同じプラトーラ・セラ工場で製造され、スッドよりも更に下のクラスとして日産のネットワークで販売されました。発売当初は、アルファスッドの1166cc63馬力エンジンを持つ3ドア(L)と5ドア(SL)の2車種でしたが、翌1984年に3ドア1300ccのTIが追加され、1985年には1500ccのTIモデルも登場します。この車種は「ニッサン・チェリー・ヨーロッパGTI」としても売られます。 1986年にフィアットがアルファ・ロメオを買収したことでアルナはプロジェクト自体が頓挫してしまいますが、日産との合弁はビジネスとしては失敗でしたが、アルファロメオが日…

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アルファスッド

アルファスッドは1971年から89年まで製造、販売していたアルファロメオのボトムレンジを担う小型大衆車です。 スッドを語る場合、名前の由来でもあるイタリアの南北問題について触れずして話を進めるわけにはいけません。われわれ日本人から見れば単独国家のように見えるイタリアですが、歴史的、民族的に異なった背景をもつ南北イタリアが統一されたのは19世紀末(約140年前)のことです。北部は酪農と工業が盛んで古来から裕福でしたが、南部は農業中心で比較的未開発でした。 南北の経済的格差を埋めることはイタリアにとって重要な国家政策であったのです。アルファロメオの、親会社に当たるI.R.I.(産業復興公社)がそれまで工業従事労働機会のほとんどなかった南イタリアのナポリ近郊、ポミリャーノ・ダルコ(Pomigliano d'Arco)に小型大衆車工場を建設し、この地域の雇用を創出するプロジェクトを計画、そのための生産車種として開発されたがスッドです。。アルファ・ロメオのエンブレムには当初「MILANO」の文字が刻まれていましたが、1972年、突然エンブレムから「MILANO」の文字が消えます。ミラノ以外に工場を持ったため、ミラノの「MILANO」文字を消したのです。ちなみにSUDとはイタリア語で「南」を意味し、ミラノで生産される車はノルド(北)系と呼ばれ、区別されました。 アルファ・ロメオ初のFF市販乗用車アルファスッドは、低重心の水平対向4気筒エンジン、特にフロントはイン…

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ジュリエッタSZ

ジュリエッタ・シリーズはアルファロメオにとって未曾有の大ヒットモデルとなりますが、中で最もチューンの高いのが、SS(スプリント・スペチアーレ)とこのSZ(スプリント・ザガート)です。1959年のトリノショーでデビューしたSZはジュリエッタシリーズの最高峰というべき憧れの存在でした。コンペティションを目的としたSZはフロアパンやパワートレーンはスパイダーと共通ですが、ボディはアルミ製で、デザインと架装はザガートが担当しています。写真はバングの1960AlfaLomeoジュリエッタSZです。 SZは当時の1300ccとしては驚異的な性能を誇り、61年タルガフローリオのクラス優勝をはじめ、無数のラリーやレースでの活躍は多岐に渡っており、アルファロメオとザガートの名声を共に高める上で大きな役割を果たします。     現在、その余りにも可愛らしいスタイルから真のパフォーマンスを見逃されがちなジュリエッタSZですが、基本はあくまで強力なレースカーです。空力を優先するデザインが重要視されるようになってから、速いクルマ、強いレースカーと美しさや可愛らしさが両立し得なくなりますが、1970年代までは辛うじて両立していたのではと思います。 アルファロメオ・ジュリエッタSZは1961年の終わりまでに合計200台余りが生産されます。サーキット上でのアルファの伝統は63年に、より高度なチューブラーフレームを持つTZにバトンタッチします。 ちなみに、プライベートレーサーのドーレ.レート.…

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アルファ・ロメオジュリアスプリントスペチアーレ 

ほぼ、同じような時期に、2200mmのホイールベースを持つジュリエッタスパイダー用のシャーシーと、100HPにチェーンされたエンジンが、ザガートとベルトネーネに渡されましたが、これにスペシャルメイドのボディーを架装したのが、ジュリエッタSZとジュリエッタSSです。 フランコ・スカリオーネの空力的なボディを架装したジュリエッタSSは、いくつかの小変更を繰り返した後、1963年に1.6ℓエンジンが搭載されたジュリアSS(スプリント・スペチアーレ)となります。その流れるような流線型のボディのお蔭でスパイダー・ベローチェと同じ112PSながら、トップスピードは30km/hも高い200km/hに達しました。長距離高速トゥアラーとしての性格ゆえ、フロントガラスの前には虫除けのプラスチックスクリーンが備えられています。このスペシャルジュリエッタは好評を博し、ジュリエッタSSで1366台、ジュリアSSは1400台が作られました。写真は、M4社製のALFA ROMEO GIULIETTA SS TOY FAIR 2008 NUREMBERGです。 「グランツーリスモ4」のアルファロメオ ジュリア スプリント スペチアーレ '63です。

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アルファロメオ・2000/2600

戦後のアルファロメオを支えた1900ですが、誕生から10年近くが経過するとさすがに古さが目立ちだします。そこでアルファロメオは1958年に、1900のエンジンとシャーシを拡大/モダナイズした車体に自社デザインのボディーを架装した4ドア6人乗りセダン(ベルリーナ)、2000を送り出します。さらに同年、カロッツェリア・トゥーリングがボディ架装を担当する2ドア2シーターのスパイダーが、1960年には2ドアクーペの「スプリント」が追加されます。その後1962年には、2600に発展します。2600系は1968年・前年にデビューしたジュリアの拡大版である1750系(4気筒1750cc)に交代する形で消滅します。 2000シリーズは、1900に端を発する4気筒DOHCユニットを、1900ベースに拡大/モダナイズを施したモノコックボディに搭載したモデルです。ホイールベースを2720mmまで延長し、サイズはプレステージサルーンの領域に達しており、そのスタイリングは、大型車特有の鷹揚さとエレガンスが漂います。ボディサイズの拡大によって1340kgになったボディを160km/hまで引っ張っぱりました。写真はバング製の1960年のアルファロメオ2000スプリントです。 また同年に、2ドア2シーターのスパイダーもデビューします。2000ベルリーナのホイールベースを220mm短縮したシャシーに、第二次大戦前からアルファ・ロメオのシャシーに数多くの傑作を架装してきたミラノの名門カロッツェリア、トゥーリン…

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1900M AR51

アルファ・ロメオの完全戦後型モデル、1900のパワートレーンを流用した4WDモデルが1900Mです。1949年の北大西洋条約機構(NATO)軍設立に伴い、1950年にイタリア防衛省が行なった、軍および警察用多目的車両の入札参加のために開発されました。1900Mの“M”はMilitare(ミリターレ=軍)の頭文字です。第二次大戦中に世界の戦場で活躍したアメリカのジープの影響を受けたシャシー/ボディに、1900用の直列4気筒DOHC(!)1884ccエンジンをロードクイアランスを稼ぐためドライサンプ化して搭載、副変速機付トランスミッションを介して通常は後2輪、またはトランスファーレバーの作動で4輪を駆動します。写真は、progettoK製のALFALOMEOAR51"MATTA"STRADALE OPEN1951です。 1900Mは“51年式偵察車両”として正式採用されたことから、“AR(Autovettura da Ricognizione=偵察車両)51”と名付けられ、翌1952年までに1921台が生産されます。また翌年には民生用モデルのAR52も追加され、こちらは154台が造られた。ちなみに、このモデルが一般的に“マッタ(Matta=狂った、常軌を逸したの意)”と呼ばれたのは、『どこでも走る』と大々的に歌われた当時の広告コピーが原因とも言われています。 アルファロメオに関心があり、かつミニタリー嗜好の方(そんな人がいるでしょうか?)にぴったりの車ではあります。 …

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アルファロメオ・1900

第二次世界大戦中、アルファロメオは軍需品も生産していたこともあり、工場が連合軍の攻撃目標となり甚大な被害をこうむります。戦争が終わると乗用車の生産を再開しますが戦前から生産されていたモデルは戦後 3 ~ 4 年で生産を終了します。 1950 年、アルファ・ロメオにとっては初の純戦後設計モデルである1900が登場します。これまでの高品質・超高性能な車を少量生産するメーカーから、量産メーカーへの転進により、クルマ作りを 180 °変えるのを余儀なくされたアルファロメオですが、1900は中型乗用車にも関わらずこれまでの6Cよりかなり安い価格設定とアルファ・ロメオらしい高性能と上質さで大好評を博します。戦後のアルファロメオの方向性を決定した重要なモデルです。写真は、M4社製のアルファロメオ 1900 TI モンテカルロ 1953 です。 6C2500シリーズでは独立懸架が採用されていたリアサスペンションは 1900で はコイルスプリングながらリジッドに戻されるなどコストを意識した設計が見受けられますが、フロントにはダブルウイッシュボーン、アルファ・ロメオとしては初めての経験となるモノコックボディの採用、4気筒のシリンダーブロックの上にはアルミ製のDOHCヘッドが輝くなど、やはり世間一般の実用サルーンと血統が違うことは明らかであり、当時の2リッター級サルーンとしては、世界最速車の一つです。 1950年のデビュー当初は、1884ccにシングルキャブレターで80PSのベルリーナのみでしたが…

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四国自動車博物館

四国自動車博物館にALFA ROMEOを見に行ってきました。アバルト、アルファロメオ、ランチアなどの欧米のレーシングカーやラリーカーを中心に、国産車トヨタ2000GT、モーターサイクルではホンダCR93、RCB481Aなど当時のエポックメーキングなコレクションが二輪、四輪あわせて約70台展示されています。1990年に地域活性化を目的に大豊町で開館しましたが、2001年12月 に現在の所在地である高知県香南市野市町に再オープンしています。アルファロメオの展示は5車種です。訪館時に写真撮影と、ブログ掲載の了解をいただきました ※当記事は、2020年2月に記載内容の見直しを行いました。 AlfaRomo155V6TIDTM(Deutsche Tourenwagen Misterschaft)は、ONS(ドイツナショナルモータースポーツ協会)が1984年に始めたツーリングカーレースシリーズです。FIAが主催していたETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)は、グループA規定で排気量によるクラス分けがおこなわれていたのに対し、DTMでは排気量は関係なく、すべてのマシンに総合優勝のチャンスを与えたことが特徴であった。また、ETCは耐久レースに近かったのに対し、DTMではスプリントレースを基本にすることで、大排気量のマシンと小排気量のマシンがまったく同じ土俵で優勝を争う刺激的なレースであった。(四国自動車博物館の注釈)激しいバトルでF1と並ぶ程の人気を誇ったDTMの155 V6 TIは155 GTAを基…

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モントリオール

アルファロメオモントリオールは、1967年モントリオールの万国博覧会に出展されたことからこの名が付いたアルファロメオのGTカーです。これはアルファロメオ・ジュリアの1600ccのエンジンと車台を使用する2+2クーペで、ボディーがベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによって設計されています。1964年に発表されたデザインモデル・カングーロの影響が散見されるともいわれています。量産車は1970年のジュネーブモーターショーで発表されました。モントリオールは、1977年に生産終了となるまでの7年間におよそ3,700台が生産されました。ユニークな開閉機構を持つセミリトラクタブルヘッドランプが最大の特徴です。写真はミニチャンプスのalfaromeomontreal1973年です。 ちなみにモントリオールの次に万博が開かれたのが大阪で1970年のことです。日本を覆いつくした空前のスーパーカーブームが起こったのが1970年代の始めの頃のことであり、高度成長期もそろそろ終わりに差し掛かかろうかという頃の話です。日本には当時の正規ディーラーであった伊藤忠モータースが10台輸入したといわれています。当時サラリーマンの平均初任給が4万円程度だった頃に770万円のプライスタグをつけていました。 搭載されたエンジンはGiulia系の4気筒DOHCではなく、Tipo33のV8エンジンをデチューンしたものを実用性を高めるため、フロントに搭載していますが200hp/6500rpmの出力を誇り、最高速度は220k…

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TZ1とTZ2

Alfa Romeo Giulia TZ (別名Alfa Romeo TZまたはTubolare Zagato )は、1963年から1967年にかけてAlfa Romeoが製造したスポーツカーおよびレーシングカーです。様々なレースの1300ccクラスをGiuliettaSZで戦ったアルファロメオですが、ひと回り大きい1600ccのジュリアが誕生すると、コンペティション・ユース主体の顧客の中からもSZより一層高性能な車への要求が高まり、その声に答えるべく誕生しました。TZ1とTZ2がいったい何台造られたかは、諸説がありますが、TZシリーズは12台のTZ2を含めて総計124台が作られたというのが定説です。TZ3は、アルファロメオ創業100周年を記念して生まれた販売や競技を目的としないコレクターズカーで割愛します。上の写真は四国自動車博物館展示のTZ1(右。旧展示車)とTZ2(左)です。 TZ1は、SZと比べ、市販ジュリエッタのフロアパンから専用鋼管スペースフレームに、ブレーキは後輪リジットからダブルウイッシュボーンの四輪独立懸架に、エンジンはジュリッタ用の1300ccからジュリア用1600ccに強化され、SZ同様にザカートがデザインしたアルミニウム製ボディーを架装します。総重量660kgの軽量ボディーとあいまって、最高速度は216km/hに達しました。以上から、TZはGiuliaの名称は付いていますが、エンジン以外はジュリアとは何の関係もない純コンペティションカーといえます。写真は、BE…

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1750/2000ベルリーナ

アルファ・ロメオの最上級サルーンである2600(6気筒)のカタログ落ちが決定されると、ジュリア・スーパーのアッパークラスに相当するモデルが待望され、マーケットのリクエストに応えるかたちで1968年、1750ベルリーナが発売されます。ジュリア・スーパーのモデルチェンジではなく、併行生産というかたちでした。ジュリア系ベルリーナの記事で簡単に触れましたが、アルファロメオ1750ベルリーナには、ジュリアの名こそつかないもののウインドウスクリーンをはじめ多くのパーツをジュリアと共用する、実質的にはジュリア・スーパーのストレッチ・バージョンでした。上の写真は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にあった2000ベルリーナの画像です。 ベルリーナのみホイールベースが2350mmに延長され、ベルトーネにより美しくシンプルな、ジュリア・スーパー系を引き伸ばしたようなデザインのボディーを与えられ上級感を演出しています。またベルリーナのエンジンはボア×ストロークとも延長した1779cc4気筒アルファツインカムエンジンですがレブリミットは7000 rpmから6000 rpmに下げられ、セダン用に低速域で扱いやすいよう改善されています。本来であれば「1800」の名前がふさわしいのですが、戦前の名車にちなんで「1750」と呼ばれました。このへんの事情はスプリントやベルリーナと同様です。室内はホイールベースの延長もありスーパー以上に広く、またトランクルームもボクシーなボディーのおかげで広大でした。175…

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ジュリア・クーペ

1963年、TIから遅れること1年でジュリアの2ドア4座クーペ、ジュリア・スプリントGTがデビューします。全長4076×全幅1587、ホイールベースはセダンより160ミリも短い2350ミリというコンパクトな外寸の中で、フル4シーターの実用性とジウジアーロによるスタイリッシュなクーペならではの流麗さを両立させたデザインは現在も多くの人々を魅了しています。エンジンは基本的にはジュリア1600スプリントと同じDOHCですが、9:1の圧縮比とツインキャブにより106HPの高出力を得、セダンより軽い(950kg)車体をセダンより15km/h上回る180km/hまでひっぱることができました。上の写真はLeo Models製の1:24スケールAlfa Romeo Giulia GT 1300 Junior - 1966です。日本未輸入モデルだと思います。ベルリーナと同様に、車種体系はなんども整理されています。ジュリア・クーペの変遷を年代を追って見てみます。 ・1964年、スプリントGTCがスプリントGTの最初のバリエーションとして登場します。「C」はコンバーチブルまたはカブリオレを意味しています。カロッツェリア・トゥーリングがオープンに改造したモデルで、スパイダー(デュエット)系が登場するまでの約1年間に1,000台程度が生産されました。 ・1966年にスプリントGTがなくなり、109馬力となってトルクも増強された高性能版のスプリントGTV(Veloce)に発展します。ちなみにV…

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ジュリアTI/TIスーパー/スーパー

ジュリアベルリーナは「醜いジュリア」のニックネームで親しまれていますが、実は本格的な風洞実験が施されたこの当時では極めて珍しい空力テクノロジーが導入された世界最初のサルーンでした。そのボクシーなスタイルとともに、フロントグリルの大小一対になった異型4灯ライトと伝統の「アルファの盾」の組み合わせがクラシカルで印象的です。流麗ではないが、個性溢れるジュリアの姿は40年以上を経た今もなお、色あせることなく多くのファンをひきつけています。上の写真はミニチャンプスのアルファロメオ ジュリア 1600 1970 レッドです。 ベルリーナ生産の17年間の流れを、年代を追ってまとめてみました。製造年月とか、製造台数等諸説がある事項もあります。また間違った記述があればご指摘ください。訂正しますのでよろしくお願いいたします。 ・1962年、最初のジュリアである4ドアセダン、TIが誕生します。TIは、1570ccのエンジン(ジュリエッタのボア4mm、ストローク7mmの拡大判)とシングルキャブの組み合わせで92HPを発生し、最高速は165km/hに達しました、当時の4ドアセダンとしては十分に高性能でした。このモデルは1967年まで生産され、7,1000台あまりが生産されたと記録されています。 ・1964年、ジュリエッタから引き継いだDOHC1290ccのシングルキャブエンジン(78HP)を搭載した、燃費と経済性にすぐれた1300が登場ます。販売台数的にはこちらが主流でした。1300はヘッドライトが4灯か…

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ジュリアの系譜(105・115系)

ジュリアは1962年の誕生いらい、10年あまりの間に100万台を生産しますが、アルファロメオにとってジュリアの時代は、ひとつの頂点であったことは異論はないでしょう。戦後、ジュリエッタ(101系)によって量産メーカーへの転身を確固たるものにしたアルファロメオですが、年間生産台数1万5000台程度の小規模なスペシャリストから、、年間生産台数10万台(69年)規模の量産メーカーに成長する原動力が次に登場したジュリア・シリーズです。シャーシー・ナンバーが105から始まり通称105系と呼ばれますが、機構的には、ジュリエッタ(101系)のものをほぼそのまま踏襲しています。たとえば、エンジンについてはジュリエッタのボアとストロークの拡大版ですし、足周りを含めたシャ-シー・レイアウトも、基本的にはジュリエッタのものを踏襲しています。伊藤忠オートによってスプリントGTが輸入されたのが1963年12月のことであり、日本でアルファロメオが認知されたのはジュリア以降の話です。上の写真はサークルK。サンクス限定のアルファロメオ食玩シリーズから、4車種のピックアップです。 「ジュリア」は、それまで販売されていた「ジュリエッタ」(1.3リッター)のお姉さんという意味から名づけらた名前です。アルファロメオの1.6リッタークラスの車を総称して、「ジュリア」と呼ぶことが多いのですが、ジュリア・スプリント、ジュリアセダンTI、ジュリアスパイダーの3種類のモデルがありました。アルファロメオの1.6リットル直列4気筒エンジンは、…

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アルファロメオ1600JUNIOR Z

ジュニアZは、1969年のトリノ・モーターショーでヒット作であったジュリアGT系のスペシャルモデルとしてデビューします。ジュニアZの「Z」はいうまでもなくカロッツェリア・ザガートのイニシャルです。いわば1300GTジュニアのザガートボディ・バージョンですが、従来のザガート製アルファロメオ(ジュリアTZ・ジュリエッタSZなど)と異なり、レース出場を目的としない純粋のロードカーとして設計されています。右はスパーク社製の1970モデルのジュニアZ1300です。このモデルは、人気が高く再販(スパークは再販が時々あります)されたと記憶しています。ミニチャンプスと比べても遜色ないと思います。1600と比べ全長が短いのが特徴で、リアオーバーハングが精悍な印象を受けます。 アルファ4気筒ツインカム1.3リッターエンジン(89HP/6000rpm)は5段ギアボックスとともにジュリア系ショートシャシー(ホイールベース2250㎜のスパイダー用)に乗せられ、2座クーペボディを架装した970kgのジュニアZを、0~400mを18.9秒、175km/hまで引っ張ります。1972年、小変更と同時にエンジンを1570ccに拡大し1600ジュニアZに発展します。右の写真は、ミニチャンプス製アルファロメオ 1600 JUNIOR Z 1972 イエローです。 ジュニアZは、当初からジュリアの部品を流用して大量生産が予定されており、カロッツェリアの近代化路線(デザインのみではなく少量の特殊なモデルの生産委託を全面的…

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サークルKサンクス限定歴代アルファロメオのミニチュアカー(1/100Scale)

京商は、フェラーリなどの自動車メーカーと飲料キャンペーン景品における製造および販売の契約を締結し、1/100スケール ミニカーコレクションシリーズ展開しました。アルファロメオも数シリーズが発売されています。全国の「サークルK」「サンクス」で、飲料メーカー4社の飲料に添付するおまけキャンペーンとしておこなわれました。「おまけ」として玩具を添付した食品(もしくは飲料)を食玩(食品玩具)と呼ばれますが、消費者のコレクション意欲を喚起し大人買いを誘発するように作られるそうです。やられました。 ◎「京商アルファロメオサークルKサンクスミニカーコレクション」・アルファロメオ( 1:100 Scale)8車種24種類・期間:2007年1月22日(月)~・内容:伊藤園お~いお茶緑茶ホット/カルピスほっとレモン/コカ・コーラ紅茶花伝ロイヤルミルクティーホット/サントリーリプトンリモーネホット/コァ・コーラジョージアカフェエルプレッソ/サントリーボスレインボウマウンティン/ アサヒワンダーモーニングショット/キリンファイア挽きたて微糖1本に1個。 ■Giulia GTA 1300 Junior 1968■Giulia T.I 1962■1750 Spider Veloce 1970■S.Z 1991■156 1997■Brera 2005■33 Strade 1968■147 GTA 2002 ◎「京商アルファロメオ第2弾 サークルKサンクスミニカーコレクション」パート2・アルファロ…

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ああ、岡山弁!

右のポスターは日本観光ポスターコンクール入賞の、岡山県の備中地域の観光PRポスター「でぇれー ぼっけーもんげー」です。 ちなみに、でぇれー ぼっけーもんげーは「すごい」の原形、比較級、最大級で「すごい」、「す、すごい」、「すす、すごい」の意です。程度を表す形容詞・副詞で、典型的な岡山弁です。 以前読んだ岡山弁に関するエッセー(作者不詳)で、「私は郷里の岡山に帰るたびに岡山弁の汚さにうんざりする。電車の中で女子高生が「~じゃ」とか「~けー」とか「~なぁ」とか楽しげに大声で話しているのを聞くと、百年の恋がさめるわけではないがまことにがっかりする」という一文を読んだことがあります。 きつい・きたないと言われる岡山弁ですが、あまり聞きたくない岡山弁を思いつくまま書いてみました。いやなことを岡山弁で言われた際には、標準語よりもダメージが数倍、増す気がします。 ・オメー=あなたの意。「オミャー」と変化することも。二人称単数形。複数形は「オメーら」。  使用例/「オメーらは、昼間からぶらぶらしゃーがって」(あなたたちは昼から遊んで) ・ケエツ=此奴(こいつ)の意。「ケェーツァー」となまること多し。  使用例/「ケェーツァー使えんやつじゃ」(おまえは役にたたない人間だ) ・オドリャー=呼びかけ語。オドリャーは「オドレー」より語気荒く語りかける時に使用する。  使用例/「オドリャーなにゅうしょうるんなら!(いったい、なにをしているのですか!) ・タ…

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PEGOのミニカー(145&146)

ペゴはPEGO ITALIA社が2008年に新しくスタートさせたブランドで、この会社はプロゲット K ブランドでもミニカーを作っているということが、最近わかりました。made in Chinaのペゴは、細部の作りがよくないと評されることが多いですが、模型に恵まれないアルファロメオ145,146をリリースする数少ないメーカーです。写真は2009年3月発売のPEGO製アルファロメオ145(赤)です。 ALFAROMEO145と146のパッケージの書いてある「PEGO」のロゴですが、最初はメーカー名なのか、既存メーカーのブランド名なのかわかりませんでした。購入店の店長さんも不明とのことなので、最近、日本に輸入された製品です。品番で見るとPROGETTOKは、「PK×××××」(←×は3けたから5けた)ですが、PEGOは「PG××××」(←×は4けた)で似ています。 145と146のパッケージを見ると、ダンボールやブリスターにダメージがあったり、背景のバックボードがセロテープ留めだったりで、とても5000円以上する製品とは思えません。最近は、ミニカーもMADE IN CHINAが多くなり、本国で製造するメーカーが少なくなりました。一時期、評判の良かった「SPARK」も最近はデカール貼り等にむらがあり「?」という話を聞くと残念です。1高額モデルでしか品質が保障されないというのは悲しすぎます。 2009年7月29日追加 1970年代に家族経営の事業として、イタリア車…

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ALFAROMEO145&146

長年欲しかったALFAROMEO145と146(PEGO)のミニカーを偶然店頭で見つけました。ALFAROMEO145は1994年に発売されたアルファ・ロメオ社としては久々の3ドアハッチバックで、33に代わって同社のボトムレンジを担うモデルでした。エンジン排気量は1.3Lから2.0Lまで多種ありエンジン型式も水平対向4気筒OHC、水平対向4気筒DOHC、直列4気筒DOHCエンジン、4気筒ターボディーゼルエンジンと多様で前輪を駆動します。145はアルファ・ロメオの正規輸入元であるフィアット&アルファロメオ・モータース・ジャパンにより、1996年から輸入が開始されましたが、スポーツモデルにあたるクワドリフォリオ(2.0L直列4気筒DOHCツインスパークエンジン、右ハンドル、5速MT)の1グレードのみの輸入でした。ちなみにクワドリフォリオとは、伝統的にアルファ・ロメオのスポーツモデルに与えられる名称で、ボディに四葉のクローバーを模したバッジが貼られます。1999(H11)年9月、 145にフロントマスクを中心としたマイナーチェンジ が施されました。フロントバンパーがボディと同色に、また両ヘッドライトの間にあるフロントパネルのスリットを新デザインに、またフロントにスカートが追加されています。さらにリアバンパーをボディ同色としたほか、リアルーフスポイラーを標準装備として追加したりリアのリフレクターランプなどのディテールまで細部の見直さしがなされました。写真はPEGOのAlfa 145です。 いっぽ…

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アルファロメオ156(ポリス仕様)

ミニチャンプスからアルファロメオ1561997ポリス仕様が発売されています。日本人にとってパトカーといえば、白と黒(いわゆるパンダカラー)の車体に赤いパトランプがついたクルマです。。ミニカーにも警察車両シリーズがあり、ご当地○○県警シリーズとか様々なバリエーションがあり、コレクターにはたまらないアイテム?になっています。スピード違反の取り締まりでは、あまりお世話になりたくないパトカーですが、ミニカーのパトカー人気は別のようです。 世界中には色とりどりのデザインのパトカーがあります。しかも国によってカラーリングが違います。ドイツのパトカーは、ほとんどが緑と白に青いパトランプというデザインです。車体全体が緑のものから、緑と白のツートンになっているものとさまざまなバリエーションが楽しめます。ちなみにドイツ語で警察は、POLIZEIといいます。ドイツで最も標準的な警察車両といえるのがCクラスのパトカーですが、ベース車両が156というのはは耐久性とかメンテナンス性で、あまり警察車両向きではないと思うのですが、レア物であることは確かだと思います。ドイツは、ミニチャンプスやシュコーなどミニカーの有力ブランドが集まっており、そのためパトカーのミニカーもかなり豊富です。写真はミニチャンプスのAlfaRomeoGiulia1970POLIZIAです。

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アルファロメオ GTV

アルファGTVは、80年代のアルフェッタGTV以来、長い間途絶えていたアルファ伝統の車名を復活させたFF高性能スポーツクーペです。GTVとは、Gran Tourismo Veloceの略で、速いGTカーを意味します。エクステリアは、「ピニンファリーナ」に在籍していたエンリコ・フミアで、独立した小さな4つのライト、サイドラインで強調された極端なウェッジシェイプ、非常に短いリアオーバーハングなどGTVであることが遠方からでも認識できるデザインです。写真は、ミニチャンプスのアルファロメオ GTV 2003 ブルーです。 GTVは、1994年のパリ・オートサロンでデビューしました。916型GTVはフィアット・ティーポ系(155と同様)のプラットフォームを流用していますが、リアサスペンションを新設計の専用マルチリンクとすることによって優れたハンドリングを実現した、横の写真は同じくミニチャンプスの2004年モデルの色違い(赤)モデルです。2003年以降のモデルは、フェーズ3とよばれ、アルファロメオの盾、つまりフロントグリルのデザインが一新されています。マイナー前のモデルは残念ながら持っていません。 アルファ GTV は1996 年 1 月より日本での販売が開始され、当初 は2.0リッターV6ターボでしたが、1998年10月に3.0リッターV6NAエンジンに移行、さらに 2003 年 7月のビッグマイナー時に新型の3.2リッターV6エンジンのみになり、最終モデルは3.2リッターと2.0リ…

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アルファロメオ (アルフェッタ)GTV

写真はアルファロメオ(アルフェッタ)GTV6 1983年レッドモデルです。車名の「アルフェッタ 」は小さなアルファロメオを意味し、GTはセダンと同様にシリーズ名を表し、V6は搭載エンジン名を表しています。V6エンジンを搭載するためにGTV6のボンネットはエアーバルジが設けられ、GTと大きく印象が変わっています。 1972年5月、アルファロメオはDOHC直列 4気筒1800ccエンジン搭載セダンのALFETTA(アルフェッタ)をを発表します。俗に116系と呼ばれます。セダンが発表された2年後の1974年5月,セダンのシャーシを使いながらホイールベースを110mm詰め、G・ジウジアーロがデザインしたボディを載せたクーペモデルが発表されます。アルフェッタGTです。1975年にセダンに1.6リットル版が追加されましたが翌年、追ってGTにも1.6リットル版が追加されます。更にGTには2リットル版が追加、アルフェッタGTVと名乗るシリーズの中心モデルになります。1980年のマイナーチェンジの際には、セイ(6)と共にデビューしたアルファロメオの至宝、V6ユニットが搭載されたモデルGTV6が発売されます。 アルフェッタGTはバンパーの違いなどから前期型(74年から80年),後期型(80年から 86年)に分けられます。緑のアルフェッタGT(二番目の写真)は前期モデルでバンパーがクロームメッキです。赤のGTV6(一番目の写真)は83年の後期モデルでウレタンバンパー仕様です。V6搭載モデルの…

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あまり役にたたないイタリア語

日本でも、結構多くのイタリア語が使われていますが特に多いのは料理・ファッション・車・スクーター・音楽・サッカー関連ではないでしょうか?比較的一般的な車に関する(と思う)イタリア語を挙げてみました。 ※イタリア語を元にした造語は省略したつもりです。 車全般 Macchina(マッキナ)→車 Carrozzeria (カロッツェリア)→車体。自動車(四輪車)製作所 Competizione(コンペティツィオーネ)→レース・サーキット仕様 Stradale(ストラダーレ)→ストリート仕様 Berlina(ベルリーナ)→4ドアセダン Sprint(スプリント)→4座クーペボディ Spider(スパイダー)→オープンボディ GT(Gran Turismo(グラントゥーリズモ)の略)→高速で長距離走行向き自動車 GTA→Aは「軽量化」を意味するAlleggeritaの頭文字でスポーティグレード GTV→Vは「より速い」を意味するVeloceの頭文字でGTの上級グレード GS(Gran(グラン) Sport(スポルト)の略 )→偉大なスポーツ SS(super(スーペル) Sport(スポルト)の略)→スーパースポーツ TI(Turismo Internazionaleの略)→仕様や装備が最もスポーティなグレード Quadrifoglio(クアドリフォリオ)→四つ葉のクローバー。スポーティなグレード Evoluzione(エボルツィオーネ)→進化 Veloce(ヴ…

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アルファロメオ 159(ボンドカー)

ボンドカー(Bond vehicles)とは映画、007シリーズに登場して、主人公のジェームズ・ボンドが運転する自動車を指します。シリーズ第3作『ゴールドフィンガー』で、MI6の秘密兵器開発主任である「Q」により開発された色々な秘密兵器が搭載された車(アストンマーチンDB5)が初登場し、以降の作品の目玉となります。ボンド自体は,イギリス秘密情報部の諜報員らしく英国車趣味(MI6の払い下げアストンマーチンDB5がプライベートカー)のようです。ボンドカーは注目度が高いため、1970年代以降は高額な契約金を元にタイアップ契約をした契約先の売り出し中の車種を使用する例が多いようです。 ミニカーも「ボンドカーシリーズ」がミニチャンプスをはじめ各社からでており、パッケージが特別製であったりします。ボンド好きかつミニカー好きを対象とした企画物と思われます。写真は、予約していたアルファ 159 ti (007ボンドカー 慰めの報酬モデル)です。 オリジナルの159と比べると、ボンドカーはブラック というより、青みがかったエナメル塗装を思わせる微妙にぬめり感のある不思議な塗装色(パッケージ色に近い)をしています。

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アルファロメオジュリエッタスプリント

第二次世界大戦後,アルファロメオはアルファを国有化した国の意向により高品質・超高性能な車を少量生産するメーカーから、量産メーカーへと転換を図ります。1900 シリーズ(1950 年から)成功に勢いをつけたアルファロメオは1954 年、より排気量の小さい小型車 (1300 cc)、ジュリエッタ・シリーズをデビュ-させます。ジュリエッタとは「小さなジュリア」を意味し、ジュリアの妹分として登場したアルファ・ロメオ初の大衆向けスポーツモデルという意味です。また、その名はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にちなんで、つけられたものともされています。ジュリエッタはこのスプリントが最初に登場し、以後にセダンやスパイダー等々一大シリーズを形成します。そういう意味でジュリエッタは大成功した記念すべきモデルです。写真はミニチャンプスのアルファロメオジュリエッタスプリント 1954シルバーです。ジュリエッタのベルリーナとスパイダー、「SS」(Sprint Speciale)、「SZ」(Sprint Zagato)については別の記事にしたいと思っています。 ジュリエッタスプリントは、ベルトーネ(デザインはフランコ・スカリオーネ)によるスタイリッシュなクーペに小排気量ながら伝統のツインカムエンジンを搭載し、トップスピードが 160 km / h(スプリント)という、当時としては驚異的な性能でアルファ・ロメオ愛好家のみならず世界中のモータリストを熱狂させました。美しいスタイリングはもとより、「ジュリエッタ」の名前…

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アルファロメオスパイダー

大ヒットしたジュリエッタスパイダーのオリジナルであるジュリエッタが、ジュリア系に進化したのに伴い、オープンカーであるスパイダーもジュリアをベースとしたものにモデルチェンジしました。これが、1966年に登場したスパイダーデュエットです。ピニンファリーナによりデザインされ、1992年までの26年間ピニンファリーナの工場で依託生産されました。 ジュリアが1970年代になってアルフェッタになって、さらに1980年代にアルファ75になってもスパイダーだけは基本的にはリアの部分を小修正しただけでスパイダーは生産を続けました。寿命の長さはシリーズ随一です。年代別に変更箇所を見つける楽しみもあります。写真は、ミニチャンプスのアルファロメオ スパイダー 2.0 1983 (Red)です。 1966 - 69/DUETTO デュエット Series1 デュエットというペットネームは一般公募で採用されましたが、大手製菓会社からクレームをつけられ(商標権を主張)、正式にアナウンスされる事もなく消えて行きました。50年代末に発表された空力スタディから発展したスタイルは、「オッソ・ディ・セッピア(烏賊の甲)」の愛称で呼ばれることもあります。1968年に1750にスケールアップ、そして1971年には2000ベルリーナや2000GTVと共用の2000にスケールアップが施されて2000スパイダー・ベローチェと呼ばれるようになります。1972年には1600ccモデルも加わり、先年登場した1300ccと合わせて3種類のラインアッ…

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「札幌の二度泣き」と「岡山の二度泣き」

「札幌の二度泣き」ということばがあります。一度目の「泣き」は、札幌に転勤を命じられた時は、都から遠い北辺の地に流されるかのような寂寥感や悲壮感で泣き、二度めは数年を札幌で過ごし、他都市への転勤を命じられた時に、よそ者をも受け入れる温かい人情に包まれ、快適な生活を送ることのできた札幌のまちへの離れ難い思いで泣くというのです。 一方、「岡山の二度泣き」なることばが、巷間で話題になっていたことがあります。岡山に転勤を命じられた時は、イメージが希薄で全国的な認知度が低く、どのようなまちか見当がつかない不安感と未知の地への期待感を織り交ぜながらやって来るが、いざ住んでみるとよそ者に対する冷淡さなどの保守的、利己的、排他的な風土に泣き、他都市へ転勤を命じられた時には、住みにくい岡山のまちから離れられる嬉しさで泣くというのです。 そもそも北の都札幌と、平静21年に人口70万人の特例でやっと政令指定都市になった岡山市と比較する意図が分かりません。人としての懐の広さ、鷹揚さ、温かさに劣る県民性を強調するための悪意を持った対比だと思います。しかし、このフレーズは驚くべきことに岡山市(岡山市総合政策審議会平成13年5月29日中間答申から)が、自ら発信したフレーズなのです。オウンゴールというか、自己卑下の極みで、気持ちのいいものではありません。※現在は、リンク切れで恋会されていません。 かって大宅壮一氏からも岡山県人の理論好き、排他的、悪賢い、冷淡、燃えない、利己的な面を捕らえ、「日…

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アルファロメオ8C2900Bルンゴ

1935年の8C2900Aに端を発する8C2900シリーズは、ブガッティT57SCと並ぶ第二次大戦前の世界最速スーパースポーツです。エンジンはティーポB用の8気筒DOHCをダブルチャージして180馬力を発生、シャシーはティーポCの4輪独立懸架を使用したモデルです。2900Bはホイールベース2800mmの“コルト(短い)”と、3100mmの“ルンゴ(長い)”が用意され、コルトは20台、ルンゴは10台の製作に留まります。写真は、8C2900Bルンゴ(1938)です。 同じミニチャンプスからライトブルーの同車がすでにリリース済みです。写真は今日受け取りにいった「黒」バージョンです。この車は黒が似合うような気がします。後傾したフロントグリルと長いボンネットの古典的なスポーツカーの美しさをミニチャンプが見事に再現しています。クラシックアルファはミニチャンプ製が一番ではないでしょうか。 「ライトブルーバージョン」と「黒」バージョンを並べてみました。どうでしょうか?

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ミニチャンプスのミニカー

ミニチャンプスは繊細、かつ的を射たディテールとプロポーションの再現、美しい塗装等、全ての要素が高次元で絶妙にバランスされた完成度の高いミニカーを作ると言われています。スケールや値段を言わなければ、モデルメーカーの選択肢がさらに広がり、変わってきます。右の写真はアルファロメオ GTA 1300 ジュニア ハマラ 1972 です。 MINICHAMPSの1/43 アルファ・ムゼオ・コレクションという小冊子付の企画シリーズがあります。アルファ・ロメオ歴史博物館(Museo Storico Alfa Romeo)所蔵品にゆかりのあるモデルは、値段も高くなりますが、より念入りに作られている気がします。特にクラシックカーは、実写をもとに作りこまれていると思います。 わたし個人は、ミニチャンプスは(他社も同様だと思う)色違い、仕様違い等々のリリース品が多すぎて集めるのが大変だとぼやきながら、集めているのですが、どこまで続くのかは、わかりません・・・

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ミニカーとタンポ印刷

タンポ印刷とは、社名やロゴをを立体感のあるもの(たとえばボールペンのような)に印刷するためのの技術ですが、ダイキャストモデル製造にも取り入れられて精度の高いミニカー作りに貢献しています。この技術のおかげで今まではデカールで再現していた細かいパーツをより緻密に、また均質に再現することが可能になりました。 これをすばらしいと感じるか、味気ないと感じるかはひとそれぞれだと思います。少なくてもミニカー小売店は、デカールの浮きによって商品価値が半減する恐れが無くなることは大歓迎だと思います。以前、あるミニカーショップでAlfa Romeo 155V6 TIのデカール浮きミニカーを半値でどうか?と声を掛けられました。実物を見せてもらいましたがデカールが大きく浮いていました。聞いた話では小売店に入いった段階で、すでにデカールが浮いているミニカーもあるそうです。※デカール:塗装後の仕上げに貼る水転写シール 二枚の写真(上・下)でどちらがタンポ印刷モデルかわかるでしょうか?どちらもAlfaLomeo155 V6 TI DTM (1993)#8のニコラ・ラリーニ車です。1993年のデビュー戦でポールトゥウィンを達成、シーズン全20戦中12勝と、メルセデスを圧倒しました。上がhpi・racing製のたんぽ印刷です。下が細部までデカール表現されて評判のミニチャンプ製です。

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WTCCのアルファロメオ

WTCC(World Touring Car Championship)は、2005年から2017年までワークスチームとプライベーターにより争われたツーリングカー(市販乗用車ベース)の世界選手権です。F1やルマンなどと一線を画すレースとして人気を集めました。2018年からはWTCRとして装いを新たにTCR規定のツーリングカーで、ノンワークスのレースとして争われています。日本では、1995年から1996年まで行われた 国際ツーリングカー選手権(略称:ITC)と合わせて数レースが行われました。※ツーリングカーとは、スポーツカーに対して旅行に適した装備を持つ一般の乗用車をいう。 写真はSparkmodel製 1/43 アルファロメオ 156 #16 WTCC 2007です。DR:D.ティールマン アルファロメオは2005年〜2006年に156でワークス参戦しましたが、2007年以降はプライベーターが使用しましたがそれ以降は姿を消します。 ※156はアルファロメオが1997年から2005年にかけ製造、販売しました   移動距離が多く、転戦回数の多い国際的自動車レースは、プライベーターの参戦は難しく、技術力と資金力のある自動車メーカーの参戦無くしては成り立たちにくいです。ツーリングカーやGTカーのレースは歴史上もメーカーの参戦と撤退により、レース内容は変遷し、栄枯盛衰を繰り返してきました。

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hpi・racingのミニカー

hpi・racingのミニカーの評判がいいようです。ミニカーショップで聞いた話です。hpi・racingのミニカーは、作りがよくて京商フェラーリの8000円クラスよりできがいいと思う。へたをしたら2~3万のミニカーよりもいいかも知れないとベテラン店長さんが言っていました。ランチアのミニカー購入者で、買い直している人がいるとも言っていました。たんぽ印刷についても塗装がだめにならない限り剥離することがないのでいいと言っていました。予約したお店(別のお店)は、問屋さんに入荷がなかったので、小売店までまわって来なかったと聞きました。人気車種は、注文を受けた数量の2割程度の供給しかできていないようだと聞きました。 以前の過去記事でAlfa Romeo 155V6 TI (#19) 1996 ITCボッシュ/服部尚貴を注文したことを書いたおり、スムーズに入手できるか心配だと書きましたが心配したとおり予約がだめにになりました。あらかじめ入荷数量がわかるのは、京商、エブロ、ミニチャンプス(最近はあやしい)ぐらいでほかのメーカーは発注しても物が来るまで入るか、入らないのか不明だそうです。急遽、ネットを探しましたが服部尚貴バージョンは通販も完売状態です。取扱店の一軒で運よく在庫を見つけ、何とか入手したのが写真の155です。 さて、わたしの見ての感想ですが、Alfa Romeo 155V6 TI 製作にあたっては実車を3Dスキャナーで読み取り、縮小モデルとしてのディフォルメを加え製作したそうですが、細部の作…

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hpi.racing製(DTM、ITCの)Alfa Romeo

ITC(国際ツーリングカー選手権)はDTMの人気に目を付けたFIAが、国際レース化しました。1995年はDTMと平行して行われ、1996年にはITCに1本化しました。メルセデスvsアルファロメオvsオペルによる最強ツーリングカーの饗宴は、その凄まじい走りでF1に匹敵する人気を得るに至ります。1996年のシーズンは日本(鈴鹿サーキット)でも開催され結果的にこれが最後のITCでした。日本ラウンドと言うことで、鈴木亜久里、関谷正徳、服部尚貴がゲスト参戦しました。当初より参加メーカー(3社)が少なかったことにくわえ、ハイテク満載のマシン製作費と世界を転戦する負担の増大で1996年限りで廃止となりました。写真はAlfa Romeo 155 V6 TI DTM 1996です。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から) ミニカーもDTM/ITCシリーズが数点出ています。HPIはアメリカのラジコンモデルのメーカーですが、2006年1月に初のダイキャストミニカーに参入しました。独自のラインナップの車をリリースしています。そのhpi・racingからAlfa Romeo 155 ITC1996(3車種)の予約が開始されました。注文の締切日は2008年11月5日(水)ですが、詳細は小売店で確認ください。 ※2016年10月にソーカルモデルカーズジャパンに社名変更、HPIブランドの業販は終了しました。 8098:Alfa Romeo 155V6 TI (#19) 1996 ITC…

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主夫とキウイハズバンド

「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」によると、主夫(ハウス・ハズバンド、英訳:house husband, house man)は、家事・育児などを担当する夫のこと。主婦に対置して用いられる言葉で、家事を専業とする場合、妻が専業主婦と言うのに対し、夫の場合は専業主夫という。夫も妻も共に「家族のため」に働くわけですから、偏見は、逆差別を生み出すだけだと思います。 夫が、「主夫」という言葉に、負のイメージ、たとえば仕事に就いていない人、稼ぎのない人、家でだらだらしているとかを感じていると、「主夫」であることに抵抗を感じてしまわないかと心配です。周囲の目を気にするあまり、「外で働ける人で、仕事に就いていない人」は「失業者」と思われないかと、いらぬ心配をしないか、気になります。髪結いの亭主ではないのですから、専業主夫の仕事に自信と誇りが持つべきです。 いっぽう妻は妻で、本来の家事の役割分担は「主婦」だと思っていると、「だんなに家事を押し付けて「主夫」に甘んじさせていると見られる不安や恐れで、肩身が狭く感じる、体裁が悪いという思いをするのでしょうか?妻は、たまたま、家事に従事してくれる「主夫」がいるので「主婦業」を任せているだけで、手があけば時にはやさしく「主夫」の手伝いをしてくれるはずです。 今の日本では、亭主関白の夫が希少種となり、、手が空いていれば、家事をに手伝う「やさしいだんなさん」が増えているのではないのでしょうか?もっとも…

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晴れの国おかやま

岡山県では、平成元年に岡山県のトータルイメージを表現する言葉として「晴れの国」を定め、広報活動を中心に使っています。地域ブランディング化の先駆けでしょうか?たしかに岡山県南部は典型的な瀬戸内海式気候ですが、北部は日本海側気候に属しており「一言で表現するのはいかがなものか」とも思います。南北に長い日本の気候を温帯気候と一言で表す大雑把に比べると、「細かいことを気にしなさんな」と言われそうです。 岡山県が公開している「晴れの国」の根拠の公開データです。見られた方から「いつ頃の話?」とつっこみを入れられそうですが・・・。以下、岡山県広報資料:データが語る晴れの国岡山からの抜粋です。・ダントツではないが、確実に晴れの日が多い。(謙虚?)・降水量1ミリ未満の日:276日(S46~H12年の平均値)で全国第1位。(県庁所在地での但書)・日照時間の長さ:2,010時間(S46~H12年の平均値)で全国第12位。(トップ10ではない)・降水量:1,141ミリ(S46~H12の平均値)で少ない方から全国第7位。(実際雨は少ないかも) ちなみに気象学的には「晴れ」とは雲量が1-3で雨が降っていない状態をいいます。人間はわがままで、熱い日が続けば早く涼しくなれと思い、寒い日が続くと暖かい日が恋しいです。なにごとも「ほどほど」が一番ということでしょうか?長崎は雨が多いらしいですが、岡山県がうらやましい?わけはないか、と歌謡曲の歌詞を思い出しました。

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ミニカーを集める

ミニカーを収集する場合、集める対象が国産車なのか輸入車なのか、特定の自動車メーカーなのかこだわらないのか、1/18か1/43か1/64等のスケールにこだわるのか、レーシングカーとか働く車とかの用途別にこだわるのか、ミニカー製造メーカーにこだわりがあるのか等々、こだわりのポイントが人それぞれ違います。色違いのミニカーを集める人にいたっては、他人が見たら理解不能かもしれません。わたしはミニチャンプスの1/43シリーズが好きです。 ※お店でもミニカーと言ったりミニチュアカーと言われていますが、単なる名前の違いだと思います。私的にはスモールカーの総称がミニカーで、そのうちの精密に縮小されたのがミニチュアカーだと思います。 わたしの場合、アルファロメオ156を購入したのをきっかけに、ミニカーを集めだしました。アルファロメオは戦前からの歴史あるメーカーで、ザガートやベルトーネ、ピニンファリーナらの有名なカロッツェリアが手掛けた、数多くの美しいモデルがあり、ミニカーでも十分に楽しむことができます。クラシックカーやレーシングカーの実写コレクションは不可能ですが、ミニカーならわたしでもなんとかなりそうです。なんとかなりそうな気がします。 かってアルファロメオは高級な少量生産車主流のメーカーでしたが、第二次世界大戦後は本格的な大量生産車メーカーに転じ、経営の一大方向転換を実現します。現在にいたる各モデルを、ミニチュアカーを使って紹介できたらと思います。興味があるかたは見てやってください。ミラノ郊…

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