アルファスッド

画像アルファスッドは1971年から89年まで製造、販売していたアルファロメオのボトムレンジを担う小型大衆車です。










スッドを語る場合、名前の由来でもあるイタリアの南北問題について触れずして話を進めるわけにはいけません。われわれ日本人から見れば単独国家のように見えるイタリアですが、歴史的、民族的に異なった背景をもつ南北イタリアが統一されたのは19世紀末(約140年前)のことです。北部は酪農と工業が盛んで古来から裕福でしたが、南部は農業中心で比較的未開発でした。 南北の経済的格差を埋めることはイタリアにとって重要な国家政策であったのです。アルファロメオの、親会社に当たるI.R.I.(産業復興公社)がそれまで工業従事労働機会のほとんどなかった南イタリアのナポリ近郊、ポミリャーノ・ダルコ(Pomigliano d'Arco)に小型大衆車工場を建設し、この地域の雇用を創出するプロジェクトを計画、そのための生産車種として開発されたがスッドです。。アルファ・ロメオのエンブレムには当初「MILANO」の文字が刻まれていましたが、1972年、突然エンブレムから「MILANO」の文字が消えます。ミラノ以外に工場を持ったため、ミラノの「MILANO」文字を消したのです。ちなみにSUDとはイタリア語で「南」を意味し、ミラノで生産される車はノルド(北)系と呼ばれ、区別されました。



アルファ・ロメオ初のFF市販乗用車アルファスッドは、低重心の水平対向4気筒エンジン、特にフロントはインボードとされた4輪ディスクブレーキなど、安価なベーシックカーにはもったいないほどに高度なメカニズムが惜し気もなく投入されており、そのため性能面では、後輪駆動のジュリア・シリーズ以上のコーナリング性能だったともいわれています。

また、ジウジアーロがデザインを手がけた全長3890mm、全幅1590mm、全高1370mmのボディーは、小さいながらも驚くほどの広さと荷室の容量を確保、実用車としての資質と、アルファ・ロメオのブランド名に相応しいスポーティーさを兼ね備え、当時シトロエンGSと並んで、小型実用車の最高傑作とまで言われたクルマでした。ジウジアーロはこの後も、初代ゴルフ、デルタ、パンダ、ウーノ等々、小形2ボックス。カーの傑作を津次々に生み出していきます。



19年の長きにわたり生産されたスッドですが、当初は2ドアと4ドアノッチバックセダン(ベルリーナ)に超ショートストロークの1186cc エンジンフラット4エンジン(63HP)を搭載してデビューします。1973年11月に高性能版のti(Turismo Internazionale)が追加されます。2ドアのみの設定でエンジンは圧縮比を高め、キャブレターを変えるなどして68HPを発生、5速ギアボックスを介して160km/hの最高速度まで引っ張りました。外観上は丸型4灯式ヘッドライト、前後のスポイラー、専用のホイールなどで特徴です。1980年、大型プラスチックバンパー、大型テールライトなど外観が大きく変更され、シリーズ2に発展します。防錆対策も改善され、内装も一新されて仕上げレベルも向上しました。エンジンは1500ccに強化され、81年には3/5ドアハッチバック版も追加されます。また1975年(1973年?)には2ドアのルーフを延長して3ドアワゴンボディーとした「ジャルディネッタ」が、デビューしていますが、スッドは、セダン・ワゴン系だけで1983年までに893,719台が生産されたといわれています。



1874年にアルファスッドのクーペモデルが1900時代以来のアルファ・クーペの伝統に従がい「スプリント」と名付けられて、デビューします。直線的でスッドとは別種の魅力に富んだスタイリングを持つ3ドアスポーツクーペはスッドと同じくジョルジェット・ジウジアーロの手によります。スプリントには、細い低中速のトルクという初期型スッドの弱点をカバーすべく、ストロークを延長した1286ccエンジン(76HP)が搭載されました。このエンジンはスッドtiにも換装されます。1981年には前後バンパーをエアダムスカート一体型のウレタン製にするなどのモダナイズを受ける一方、ボクサー4ユニットを更に1490ccまで拡大した“クアドリフォリオ・ベルデ(緑の四つ葉クローバー)”に進化、105HP/6000r.p.mを誇りました。1983年にアルファスッドが33にモデルチェンジしたさい「スッドスプリント」は「アルファロメオスプリント」と名称変更され、1989年まで生産されます。Wikipedia英語版によると、スプリントの累計生産台数は121,434台といわれています。



アルファロメオの魅力をより幅広い層に知らしめたスッドですが、同時に南イタリアでのアルファスッド生産はアルファロメオブランドの信用低下・経営悪化の直接の原因となったといわれています。具体的にはポミリャーノ・ダルコ工場の生産技術、労働者のスキルの低さによるボディ内外の仕上げの悪さや、労働争議に悩まされたイタリア鉄鋼産業の生産力不足を補うためにソ連から輸入したといわれるボディ用鋼板の防錆処理不足による発錆と腐食問題で、“ナポリ製(イタリア俗語ではまがい物という意味もある)”のネガティブなイメージは最後まで好転しませんでした。



日本では正規代理店が伊藤忠オートから変わり、後を引き継いだ日英自動車も1985年に解散するなどディーラーが二転三転したことから、整備や部品の確保も怪しいというような状況が続き、スッドは「性能はいいが仕上げと耐久性は・・・」と酷評されたこともあり、日本市場では極めてマイナーな存在に終わってしまいます。



画像スッドはミニカーの種類が少ない車種ですが上の写真が1972年alfaromeoalfasud、下の写真が1974_alfaromeoalfasudtiでどちらもPMA製です。







「工場に取材訪問に行くと、昼間から工員が酒を飲んでいた」

「日本に輸入された時点がすでにさびが発生していた」

「走行中に助手席の床が抜け落ち、地面が見えた」

等々逸話に事欠かないスッドですが、発錆のため早い時期にスクラップにされた例が多く、生産台数の割りには程度の良いアルファスッドの残存台数が世界的にも非常に少ないと言われており、ほんとうに見る機会の少ない車になってしまいました。。





この記事へのコメント

この記事へのトラックバック