ジュリア・クーペ

Alfa Romeo Giulia GT 1300 Junior - 1966.jpg1963年、TIから遅れること1年でジュリアの2ドア4座クーペ、ジュリア・スプリントGTがデビューします。全長4076×全幅1587、ホイールベースはセダンより160ミリも短い2350ミリというコンパクトな外寸の中で、フル4シーターの実用性とジウジアーロによるスタイリッシュなクーペならではの流麗さを両立させたデザインは現在も多くの人々を魅了しています。エンジンは基本的にはジュリア1600スプリントと同じDOHCですが、9:1の圧縮比とツインキャブにより106HPの高出力を得、セダンより軽い(950kg)車体をセダンより15km/h上回る180km/hまでひっぱることができました。上の写真はLeo Models製の1:24スケールAlfa Romeo Giulia GT 1300 Junior - 1966です。日本未輸入モデルだと思います。ベルリーナと同様に、車種体系はなんども整理されています。ジュリア・クーペの変遷を年代を追って見てみます。



画像・1964年、スプリントGTCがスプリントGTの最初のバリエーションとして登場します。「C」はコンバーチブルまたはカブリオレを意味しています。カロッツェリア・トゥーリングがオープンに改造したモデルで、スパイダー(デュエット)系が登場するまでの約1年間に1,000台程度が生産されました。






・1966年にスプリントGTがなくなり、109馬力となってトルクも増強された高性能版のスプリントGTV(Veloce)に発展します。ちなみにVeloce(ベローチェ)は早いを意味します。フロントグリルは、スプリントGTでは、細かい横桟でしたがGTVは3本の太い横線タイプに変わっています。
 また、GTVとほぼ時を同じくして1300GTジュニアがデビューします。ジュリエッタの1300エンジンのなかで、もっとくチューン度が高く930kgの軽い車体とあいまって170kmまでひっぱることができました。性能アップとともに価格も上昇していったジュリア・クーペですが、手軽な価格で多くの人が楽しめるよう追加されたモデルがジュリア・クーペで、クーペ人気のかなりの部分はこのジュニアが支えていました。また、GTジュニアの初期型('71年以前)モデルはボンネットとノーズパネルにあえて段が付けられており、このモデルは日本では「段付き」と呼ばれました。フロントグリルの横線が一本だけになっているのが大きな特徴です。


画像・1967年、105系クーペの主流であったスプリントGTVに変わって、1750GTVが登場します。総排気量が1779ccでありながら1750と呼ばれたのは戦前の6C1750にあやかったと言われています。ヘッドライトが2灯式から大小一対の4灯に変更になっています。写真は、AUTOart製の1967 Alfa Romeo 1750 GTV - White です。




・1970年代、1750GTVのバンパーがオーバーライダータイプのものに変更、それにあわせてターンシグナルランプも変更になります。また、1300GTジュニアの「段付き」が1750GTVと同様な形状に変更になり、多くの愛好家を嘆かせました。


・1972年、1750GTVが2000GTVに発展します。1750ユニットのボアを84mmに拡大し排気量が1962ccとなり132HPを発生、最高速は200kmにあと一歩の195kmまで達しました。フロントグリルの「アルファの盾」が8本の横桟の凹凸で表現される複雑なデザインとなり識別は容易です。
 また、1750GTVが2000GTVに発展すると、1300とのギャップを埋めるべく1570cc版もGT1600ジュニアとして復活します。


・1974年、セダン系が最終バージョンのジュリア・スーパーに進化したのと同時に、GT1600ジュニアもGTジュニア1.6へと進化します。また、一時ラインアップから消えていた1300もGTジュニア1.3として復活します。GTジュニア1.6と1.3は2000GTVと共通の4灯式ヘッドライトのフロントグリルを持ちますが、2000GTVのもつオーバーライダーは省略されています。


・1977年、GTジュニア1.6/1.3と2000GTVが生産中止されると、1963以来15年間にわたる105系クーペの歴史は、その幕を閉じることとなります。



◎GTA(1965年~1973年)


アルファロメオとレースは、昔から切っても切れない関係にあります。60年代になって、ヨーロッパ各国で行われていたツーリングカーレースを統合したヨーロッパツーリングカーレースが開催されるようになると、アルファはまずセダンのジュリアをベースにした高性能モデル、TIスーパーで参戦します。当時のETCにはロータス・コルティナという強力なライバルがいました。モンデオの前身にあたるフォードの中級セダン、コルティナのボディーに、ロータス製1.6リットル・DOHCエンジンを積み込んだモデルで、ジュリアTIスーパーに勝ち目ありませんでした。


画像そこでアルファロメオは、セダンより軽く、重心も低いクーペに目をつけます。スプリントGTのボディをそっくりアルミニウム製にして軽量化したレース向けホットモデルは>ジュリア・スプリントGTAと呼ばれました。GTAとは、“グラン・ツーリズモ・アッレッジェリータ”の略です。日本語にするならば、「軽量化されたGTカー」という意味になります。1570ccエンジンはツイン・プラグ化されるとともに圧縮比をアップ、キャブレターの大型化などでチューンアップされ、115HPを発生していました。このジュリアGTAをベースに、エンジンをさらに170HPまでチューン、ボディーをさらに軽量化した準レーシングバージョンがジュリアGTAコルサです。ジュリアGTAとジュリアGTAコルサは全部で500台ほどが作られ、1966年から1969年の4年間に渡って、ETCを制覇し続けるという偉業を成し遂げました。写真はミニチャンプスの1965_GiuliaaSprint1600GTAです。


画像1968年にはETCの1.3ℓ;クラスを制覇することを目的に作られたモデル、GTA1300ジュニアが追加され、1969年にジュリアGTAが生産を終了した後も1973年まで存続します。エンジンは通常の1300GTジュニアのものではなく、ジュリアGTAのエンジンのストロークを82mmから67.5mmに短縮したものが用いられ、447台が生産されました。写真はミニチャンプスのAlfaRomeoGTA1300Juniorです。





124425732463316123176_1970_alfaromeogiuliagtamsilverstone.jpg1750GTVの登場にともない、グループ2仕様のレーシングモデルも1750GTAmへと進化します。この車のエンジンは名前と異なり1985ccまで拡大されており、ボディーはアルミを主体とするGTAとは異なり、スチール製が基本でした。また、後期型は基本的には同じクルマながらネーミングが2000GTAmと改められます。1750GTmと2000GTmは、1970年と1971年に40台が作られました。右の写真は1970年GIURIA GTAM SILVERSTONE(progettK)です。1750GTV/2000GTVをベースとしてFRPによるファットフェンダーが迫力のマシンです。105ジュリア系レーシングクーペの究極の姿です。No,105は、1970年シルバーストーンに出走した車でtipo105の105ゼッケンと70年代に特有なサイケデリックなカラーリングが印象的な1台です。








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