アルファロメオ・2000/2600

戦後のアルファロメオを支えた1900ですが、誕生から10年近くが経過するとさすがに古さが目立ちだします。そこでアルファロメオは1958年に、1900のエンジンとシャーシを拡大/モダナイズした車体に自社デザインのボディーを架装した4ドア6人乗りセダン(ベルリーナ)、2000を送り出します。さらに同年、カロッツェリア・トゥーリングがボディ架装を担当する2ドア2シーターのスパイダーが、1960年には2ドアクーペの「スプリント」が追加されます。その後1962年には、2600に発展します。2600系は1968年・前年にデビューしたジュリアの拡大版である1750系(4気筒1750cc)に交代する形で消滅します。


画像2000シリーズは、1900に端を発する4気筒DOHCユニットを、1900ベースに拡大/モダナイズを施したモノコックボディに搭載したモデルです。ホイールベースを2720mmまで延長し、サイズはプレステージサルーンの領域に達しており、そのスタイリングは、大型車特有の鷹揚さとエレガンスが漂います。ボディサイズの拡大によって1340kgになったボディを160km/hまで引っ張っぱりました。写真はバング製の1960年のアルファロメオ2000スプリントです。



また同年に、2ドア2シーターのスパイダーもデビューします。2000ベルリーナのホイールベースを220mm短縮したシャシーに、第二次大戦前からアルファ・ロメオのシャシーに数多くの傑作を架装してきたミラノの名門カロッツェリア、トゥーリングのデザインによるエレガントなスパイダーボディが架装されます。スパイダーのボディーは1180kgと軽く、115HP/5700r.p.mにチューンしたエンジンとあいまってオープンボディーでありながら,セダンを上回る180km/hをマークしました。このスパイダーモデルは、特に北米での人気が高く、ベルリーナを大きく上回る台数が製作されました。



1960年には、スパイダーとベルリーナの中間の2580というホイールベースをもつベルトーネ製のボディーを架装したスプリントが追加されます。デザインを担当したのは、若き日の巨匠ジョルジェット・ジウジアーロで、のちの傑作ジュリア・クーペの基本となった、クリーンかつスタイリッシュなプロポーションを誇ります。また、アルファ・ロメオとしては初めて4灯ヘッドライトが与えられた量産車としても知られています。エンジンは、2000ベルリーナよりも10psアップの115psを発揮していました。



1962年には、2000シリーズの後継者として2600が登場するため、2000の生産期間は約4年と短く2,814台のベルリーナ、3,443台のスパイダー、704台のスプリントが生産されたに過ぎませんでした。





画像1962年、アルファ・ロメオのフラッグシップ2000シリーズはランチア・フラミニアやフィアット2100など、6気筒エンジンを搭載するライバルに対抗するため2000の4気筒エンジンを6気筒2600ccに換装し、「2600」として再デビューさせます。デビューは1962年のジュネーブショーで、当初のボディバリエーションは2000同様にベルリーナ、スパイダー、スプリントの3種でした。1965年のフランクフルト自動車ショーでは、ザガートのデザイン・製作による2座席スポーツクーペ、「2600SZ」(Sprint Zagato)が追加されます。



2600は2000と基本的に同じシャシー・ボディですが、2600では6気筒エンジンを搭載するためにベルリーナとスパイダーのボンネット高が上げられ、スパイダーとスプリントにはパワーバルジが追加となり、2000の軽快さは損なわれました。アルファロメオにとって久々となる6気筒エンジンは新設計の軽合金シリンダーヘッドを持つDOHC2584ccで、ベルリーナはツインキャブレター130馬力、他は3キャブレターで、スパイダーとスプリントは145馬力、SZは更にチューンされて165馬力でした。



新しい6気筒エンジンは優れた設計でしたが、1900と基本的に同一設計のままであったシャシーの前輪荷重を増す結果になり、もともと時代遅れになりかけていた操縦性を悪化させ、スタイリングの面でも、特に魅力に欠けていたため、1969年まで生産されますが、販売台数は少なく当時のアルファロメオにとって傍流のひとつです。2600ベルリーナが2092台、スパイダーは2255台、スプリントは6999台、SZが105台生産されています。。日本へは、厳しい外貨規制中であったため2000は輸入されませんでしたが、規制が緩和された1963年秋、国際自動車商事に代わってアルファロメオ総代理店となった伊藤忠オートが、輸入第一号車として2600スプリントを選び当時の伊藤忠商事副社長・伊藤英吉に納車されました。その後も数台のスプリントとベルリーナとSZ各1台が正規輸入されています。近年、趣味の車としてスプリントを中心に、並行輸入で持ち込まれる例もあります。






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